カテゴリー: Fukuoka
水時計があったとされる大宰府・築山
中大兄皇子が開発した「漏刻(水時計)」が設置されていたといわれる築山。 太宰府政庁のすぐ東側にある小高い山ですが、高台に「漏刻」を置くと水はどのように導いたのだろうという疑問が生まれます。 「漏刻」は低いところに設置され […]
豊前、筑前、筑後について
現在の福岡県は大まかに分けて北部と南部の二つの地域に分かれていて、同じ福岡県人でも言葉やイントネーション、文化が微妙に違います。これは佐賀県でも同様のようで、山に隔てられた北部の玄海灘側と南部の有明海側では文化がだいぶ違 […]
西光寺の鐘は中山鹿之介の陣鐘?
明治30年(1897年)頃の事、早良内野の西光寺の檀家衆はお伊勢参りに出かけます。その帰途、大阪に泊まった一行が街中を散策中、一人の檀家が古物商の軒先に雨ざらしになった梵鐘に目を止めます。汚れた上に乳部(上部にある複数の […]
「白村江の戦い」の帰還兵・博麻
大伴部博麻(おおともべのはかま)は現在の八女市上陽町の出身で663年の「白村江の戦い」に出征し、唐軍の捕虜となります。 翌年には土師富杼(はじのほど)ら4名が唐人の計画を朝廷に知らせようと帰国を考えますが、その費用があり […]
帰ってきた「親不孝通り」
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通り」の呼称に戻された様です。 ところでこの親不孝通りは中洲に匹 […]
妙見宮の和気清麻呂公像
足立山と猪に乗る 和気清麻呂公像 神護景雲三年(七六九年)当社におまつりされている和気清麻呂公は、皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の邪望を打ち砕いたが、恨みをうけたため、足の筋を斬られ大隅国(現在の鹿児島県)へ流されることに […]