「新選組始末記」について

このサイトでも真木和泉、平野國臣、篠原泰之進の項で参照している「新選組始末記」ですが、残念ながらこの書は史家や歴史作家より創作の部分が余りにも多過ぎるとの指摘があります。著者の子母沢寛氏自身もその「あとがき」で次のようなことを書いています。 「幕末史の権威、尾佐竹猛、井野辺茂男、藤井甚太郎の諸先生を訪れて、新選組の事を根ほり葉ほり聞いたが、藤井先生は『史料は糞でも味噌でも手の届く限り漁れ。品別(しなわけ)はやっているうちに自然にわかってくる』と教えて下さった。生き残りの老人たちのはなしは、疑わしいものもあったが、私は『歴史』というのではなく現実的な話そのものの面白さをなるべく聞きもらすまいと心がけた。」 個人的には若い頃に愛読した「新選組始末記」の記事ができるだけ真実、いや現実であって欲しいという願望が強いのですが、この書の解説を担当した小松伸六氏も子母沢氏の功績を讃えつつも「『新選組始末記』は随筆とも小説とも記録とも史談ともつかぬもの・・・」と表現しています。ただ子母沢氏が古老たちの話を聞き集めたのが大正末から昭和の初期で明治維新より約60年後の事、現在でも70年前の太平洋戦争の語り部がいらっしゃる事を思うと、子母沢氏の記述した古老たちの話の多くを一刀両断に切り捨てるのはもったいない気がしてなりません。そして小松伸六氏は次のような事も解説の中に記しています。 「この作品は一等史料であり、とくに新選組を書く場合には、これを抜きにしては語れないことは、あらゆる作家が口をそろえて言っていることなのだ。」と・・・・・ -参考・引用「新選組始末記」(子母沢寛氏/角川文庫)-