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「福岡史伝」に記載する記事の下書きや名所旧跡に置かれている説明文を掲載しています。

 


「福岡史伝」
-福岡2000年の歴史をかんたん簡単解説-

 

福岡の歴史は古く、西暦57年に中国後漢の光武帝より奴国王に金印が送られ、それから約三百年後に書かれた三国志にも奴国として登場します。
以来、磐井の乱、白村江の戦い、高僧鑑真の来日、菅原道真の左遷があった平安時代から、元寇「文永・弘安の役」の鎌倉時代、足利尊氏、菊池武光、今川了俊などの英雄を輩出した南北朝時代、高橋紹運の岩屋城籠城戦と豊臣秀吉の「博多町割り」、五卿の遷座と筑前勤皇党の幕末。

日本史の重要な場面には必ず登場するのが福岡です。福岡の歴史を知ることで、日本史の全体像を側面から捉える事ができるものと思われます。

そんな福岡の歴史を名所旧跡をまじえながらご紹介します。
遠方で歴史研究をされている方、観光、出張で福岡に来られる方のために僅かでもお役に立てればと考えています。

福岡史伝


 

 

【Draftに関する投稿】

生の松原元寇防塁 投稿日2021年8月1日
国指定史跡 元寇防塁 1274年、元は900艘の軍船と2万8千人の軍兵で博多湾に攻めこみ、その西部に上陸し、九州の御家人たちと激しい戦いをくりひろげました(文永の役)。 その後、鎌倉幕府は元の再度の来 [...]

私の辞書に諦めという文字はない 投稿日2021年7月6日
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只今『記想録』を更新中 投稿日2021年6月8日
現在、『記想録』を頻繁に更新しています。 勝海舟、佐藤一斎の言葉の他、日本の名言や中国古典からためになる言葉を選び掲載中。 興味がある方はこちらにどうぞ!!   [...]

怡土城(いとじょう)について 投稿日2021年6月6日
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『海舟座談』の疑問解消!! 投稿日2021年5月23日
『海舟座談』の著者・巌本善治氏が海舟宅に出入りしたのは、明治20年8月から、海舟に最後に面談した明治32年1月14日までの約11年を超える期間になります。しかし、『海舟座談』には明治28年7月~明治3 [...]

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士は独立自信を貴ぶ。熱により炎に附くの念起すべからず。   志の高い人は自身の考えをもって、自信を持って行動する事を貴ぶものである。勢いのあるものに寄り従うような気を起こしてはいけない。 & [...]

立志は本心の好む所に従うのみ 投稿日2021年5月14日
学問を始めるには志を立てる事が大事である。ただ人が強いてはいけない。志を立てるのは本人の気持ちに従うべきである。   佐藤一斎  言志録 [...]

免れんと欲するは不可なり 投稿日2021年5月12日
おおよそ、身に降りかかってくる艱難変故、屈辱讒謗、払逆は、みな天がわが才を成長させるために課すもので、砥礪切磋の実践である。志を高く持つ者は、これに対応する方法を熟慮すべきである。なにも考えずにこれら [...]

凡そ人を諫めんと欲するには 投稿日2021年5月11日
凡(おおよ)そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意、言に溢るる有るのみ。苟(いやし)くも一忿疾の心を挟まば、諫は決して入らじ。   人を諫めようとする場合は、誠意の心あるのみで、怒りや憎む [...]

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神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下百姓の罰おそるべし。 益軒はその理由を次のとおり記しています。 神の罰は祈ってまぬがれ、主君の罰はお詫びをして許しを請えばよい、ただ部下や民に疎まれては、 [...]

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鎮懐石八幡宮 投稿日2021年5月3日
鎮懐石八幡宮御實記を始め、古事記、萬葉集の鎮懐石を詠める歌、などによると、神功皇后(息長足日女命)は應神天皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島へ兵を出された時に、卵形の美しい二個の石を求めて肌身に [...]

坂本龍馬先生誕生地 投稿日2021年5月2日
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武市瑞山先生殉節之地 投稿日2021年4月27日
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古今の英傑は、時には策略を用います。最近で言えば、運動とかいう事で、極めて秘密に策を巡らし、あるいは利をもって誘い、反対の人を味方に引き入れるような小細工をする事がございます。この様な小細工は一時的に [...]

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平安時代の末、栄華をきわめた平家の勢いにも陰りが見えはじめ、源氏によって都を追われた人々は西国の各地に隠れ住んだ。この唐原(とうばる)の里にも、平清盛の息子である平重盛の内室と、千姫、福姫という2人の [...]

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国指定史跡 今津元寇防塁 13世紀初め、チンギス・ハンはアジアからヨ-ロッパにまたがるモンゴル帝国をうちたてました。その孫、五代皇帝フビライは、国名を元と改め、日本に使者を送り通交を求めました。しかし [...]

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勝塾の塾頭・杉亨二がパークスの傲慢さを述べると、勝はそれを否定します。   「横浜のパークスを訪ねると、こっちは敗北同然だから、軽蔑しての事か、会おうとしない。そこで事情を説明して面会を促す [...]

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⑮原 鶴 ~県内有数の出湯の里~   温泉と言えば、県内有数の名を馳せる原鶴温泉が志波に在る。「杷木町史」によれば、原鶴温泉のほとんどが単純温泉アルカリ温泉である。原鶴は、火山帯から離れてい [...]

臼井六郎・最後の仇討 投稿日2021年3月21日
秋月藩家老の臼井亘理(うすいわたり)とその妻・清子が尊王攘夷派の干城隊隊士十数名により寝込みを襲われ斬殺されます。その長男・臼井六郎は11歳でこの暗殺直後の現場を目の当たりにします。これは慶応から明治 [...]

井上伝の胸像 投稿日2021年3月17日
久留米絣の開発者、井上伝の胸像です。この像は近代産業の担い手となった著名人とともに久留米・五穀神社の東側に立っています。 絣とは織る前に糸の一部を染め、その染まった部分と染まっていない部分の交わり方で [...]

左から三番目は誰? 投稿日2021年3月15日
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日本最後の仇討 臼井六郎の生誕地 父臼井亘理・清子夫妻 干城隊により斬殺される。一子六郎 苦節13年江戸旧黒田家別邸にて犯人を父遺愛の短刀で刺殺し仇討を果たす。M0.5.24 M13.12.17 墓は [...]

蜷城の由来 投稿日2021年3月14日
朝倉市林田にある美奈宜(みなぎ)神社にはその地域の呼び名「蜷城(ひなしろ)」の由来が伝えられています。   大昔、ここはよく肥えた豊かな地でしたが、古処山に羽白熊鷲と言う者があり、時々山を下 [...]





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