高山彦九郎終焉の地

高山彦九郎終焉の地

 高山彦九郎正之(字仲縄)は、延享四年(一七四七)、上野国新田郡細谷村(現群馬県)に生まれました。
寛政の三奇人(高山彦九郎、林子平、蒲生君平)として有名な彦九郎は、全国各地を遊歴し、当時の徳川幕府を批判し、王政復古を唱えました。
尊王運動の先覚者である彦九郎は三度、久留米を訪れており、寛政五年(一七九三)六月二十七日、友人である森嘉膳宅の離れで割腹して憤死しました。
終焉の地の碑は封建社会から中央集権の近代国家に移ろうとする胎動期の歴史を語るものとして貴重な史跡であります。
なお、墓は寺町遍照院にあります。

久留米市

高山彦九郎終焉の地の案内板より。
右写真は南西に300mほど離れた遍照院にある高山彦九郎の胸像。
遍照院には彦九郎の愛刀や具足や真木保臣書などが所蔵され、境内には彦九郎の墓の他、平野國臣寄進の燈籠、この地で彦九郎の後を追った友人・西道俊のひょうたん墓などがあります。