旧九州鉄道城山三連橋梁

旧九州鉄道城山三連橋梁

九州の近代化を担った九州鉄道の遺構
国登録有形文化財 旧九州鉄道城山三連橋梁

明治22(1889)年12月11日、九州初の鉄道会社である九州鉄道は、博多から久留米(開業時は千歳川仮停車場※)の約22km 区間で開通し、片道1時間23分、6両編成で1日3往復の営業が開始されました。鉄道施設のため、プロイセン(現ドイツ)から鉄道監査官のヘルマン・ルムシュッテルを顧問技師として招き、機関車・客貨車・機材等を輸入し、モルタルやその他の資材を国内で調達しました。三連橋梁の煉瓦は主にイギリス積み(煉瓦の小口面の列と長手面の列が各層ごとに交互にみえる)で、その大きさは長さ24.5m、幅員4.7m、高さ8.1m、アーチ径4.58mです。もともと利用されていた農道や、川など現地の地形を生かして橋を架けるために、三連に造られました。
大正9(1920)年、 二日市~原田間の複線化によって新線(現在のJR鹿児島本線)へと路線が変わったため、鉄道橋梁としての役目を終えました。明治時代から変わらぬ雄姿は、九州の近代化の息吹きを今に伝えています。


現地の案内板より