およそ天下に乾児(こぶん)のないものは、恐らくこの勝安芳一人だらうよ。それだから、おれは、起きようが寝ようが、喋らうが、黙らうが、自由自在気随気儘だよ。
海舟は氷川清話(講談社学術文庫)でこのように語っています。
なるほどと思わずにはいられませんが、しかし大きな事を行うにはやはり乾児は必要ではなかろうかとも感じます。ただ個人的には「自由自在気随気儘」という言葉には微妙に惹かれるものがあります。
海舟信奉者の松村介石は「救済新報」に次の通り寄稿しています。(岩波文庫の「新訂海舟座談」より)
先生自ら曰く「予は乾児を作らず」と。先生は学校も持ちしことあり、弟子も多し、乾児を作らんと欲せば、幾万の人これに帰せん、しかして一人の乾児を作らざりしは何がゆえんぞ。先生自ら曰く、乾児を作らば遂に乾児のために己れの誠を誤り、また己れが取るべき道を誤るに至らんと。
ただ、これは乾児にも言えることで「親分作らば遂に親分のために己れの誠を誤り・・・」といったところでしょうか
吉田松陰もこのような言葉をのこしています。
妄(みだ)りに人の師となるべからず、妄りに人を師とすべからず。
松村介石はキリスト教、儒教や老荘思想などをあわせ持たせた「道会」を創設した宗教家。「先生は学校も持ちしことあり」とは神戸海軍操練所の事で坂本龍馬や後の外務大臣・陸奥陽之助、日清戦争時で連合艦隊司令長官を務めた伊東祐亨、池田屋の変で斃れた望月亀弥太や北添佶摩、横井小楠の甥・横井佐平太、太平兄弟などが在籍していました。