「委字は倭字を略したる者と相見えん」これは亀井南冥の金印鑑定書に書かれる言葉になります。『「漢委奴国王」印の「委」という文字は「倭」の人偏を略したものと思われる』といった意味になります。
後漢書には「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀(西暦57年 倭の奴国 貢を奉じて朝賀す)」と書かれており、南冥はこの文章と志賀島で発見された金印を関連付けるものの、金印に刻まれる「委」という文字と後漢書の記される「倭」という文字をどうつなげるか戸惑い、最終的に冒頭に記した人偏省略説に行き着いたものと想像されます。この説は現在も主流となり「漢委奴国王」は「漢の倭の奴国王」と訳されるのが一般的な解釈となっているようです。
「委」の読み方にはこれまで学者や郷土史家、一般の歴史ファンなど様々な人々が取り組まれ、「委」と「奴」をつなげて委奴国(いとこく)と読む説などもあるようですが、中国で発見される印の文字構成は「王朝名」+「民族名」+「部族や国名」となっているようで、この事から「漢の倭の奴国王」との読み方が主流となっています。