シーボルト宅跡

シーボルト宅跡

シーボルト宅跡
指定年月日 大正11年10月12日
所 在 地 長崎市鳴滝2丁目
所 有 者 国ほか

文政6年(1823)に出島和蘭商館として来日したシーボルトは、翌年鳴滝に塾を開き、患者の診療や、門弟に対する教育活動、日本研究活動などを行いました。全国各地から集まった門弟達は、西洋の進んだ学問や科学的な思想を学び、中には幕末に活躍した蘭方医や、日本の近代化に大きく貢献した人物も少なくありません。その一方で、動物や植物をはじめとする日本のあらゆるものを対象として科学的に調査・研究を行い、後年その成果をまとめ、ヨーロッパにおいて日本を正しく紹介することに努めました。
また、開国後の安政6年(1859)再来日を果たしたシーボルトは、この地を日本における住まいとし、日本各地の珍しい植物を取り寄せて植物園を造るなど、再び鳴滝を拠点として日本研究を継続しました。この地は、我が国における西洋近代科学発祥の地であると共に、日本が広くヨーロッパに紹介された研究活動の拠点であり、日本の近代化並びに国際交流に大きな役割を果たしました。


現地に置かれるシーボルト宅跡の案内板より

 


すぐそばにはシーボルト記念館があり、長崎有数の観光名所となっています。