鎮懐石八幡宮御實記を始め、古事記、萬葉集の鎮懐石を詠める歌、などによると、神功皇后(息長足日女命)は應神天皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島へ兵を出された時に、卵形の美しい二個の石を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈られたのであった。願は叶って帰国後宇美の里で、應神帝をご安産された。
そこで、神功皇后が経尺の璧石を、子負ヶ原の丘上にお手ずから拝納されてより、世人は鎮懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった。
鎮懐石八幡宮の案内板の由緒より
写真左が「鎮懐石碑」、右は神功皇后の船を繋いだ石といわれる「船繋石」。