足立山と猪に乗る
和気清麻呂公像
神護景雲三年(七六九年)当社におまつりされている和気清麻呂公は、皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の邪望を打ち砕いたが、恨みをうけたため、足の筋を斬られ大隅国(現在の鹿児島県)へ流されることになった。
その途中船が豊前国宇佐の海岸に着いたとき道鏡の追手から逃れるが如く、多くの猪が清麻呂公をかばい、その一頭が公を背に乗せて宇佐神宮の社頭へとお送りしました。
時に豊前国企救郡石川村竹和山麓(現在の足立山麓)湯川に霊泉があり、その水に浴すれは直ちに足の傷は癒るという神勅を承け、公は神宮の神馬を借りて、湯川の地を訪ねた。
霊泉に浴し、不思議にも数日で足の傷は元の如く癒り、この山を足立山と言うようになりました。公は足が癒えると共にこの山上に登り、至誠を尽くして、皇上の安泰と妖僧の退除とを十七日問断食して祈念し北辰尊星妙見大菩薩即ち、造化三神がはじめてこの山上の降臨しました。
この石像は、猪かまさに公の使神となって公の難を救った伝説を現在に伝える像としてこの妙見宮境内に納められています。戦前は銅像でしたが、戦後公の人物功績を慕う小倉の故津田三代吉や、米谷勘吉、山田一次、津田金次、他諸氏の熱意と浄財によって、石像として生まれ変わりました。
妙見宮和気清麻呂公像の案内板より