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「福岡史伝」に記載する記事の下書きや名所旧跡に置かれている説明文を掲載しています。

 


「福岡史伝」
-福岡2000年の歴史をかんたん簡単解説-

 

福岡の歴史は古く、西暦57年に中国後漢の光武帝より奴国王に金印が送られ、それから約三百年後に書かれた三国志にも奴国として登場します。
以来、磐井の乱、白村江の戦い、高僧鑑真の来日、菅原道真の左遷があった平安時代から、元寇「文永・弘安の役」の鎌倉時代、足利尊氏、菊池武光、今川了俊などの英雄を輩出した南北朝時代、高橋紹運の岩屋城籠城戦と豊臣秀吉の「博多町割り」、五卿の遷座と筑前勤皇党の幕末。

日本史の重要な場面には必ず登場するのが福岡です。福岡の歴史を知ることで、日本史の全体像を側面から捉える事ができるものと思われます。

そんな福岡の歴史を名所旧跡をまじえながらご紹介します。
遠方で歴史研究をされている方、観光、出張で福岡に来られる方のために僅かでもお役に立てればと考えています。

福岡史伝


 

 

【Draftに関する投稿】

帰ってきた「親不孝通り」 投稿日2018年4月7日
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通り」の呼称に戻された様です。 ところでこの [...]

五卿潜居由来 投稿日2018年3月25日
七卿潜居由来  文久三年(一八六三)八月の政変によって朝議は公武合体の方針をとり、尊攘派の長州は皇居護衛の任を解かれたために三条実美ら尊王派の七卿を奉じて山口に帰った。 翌元治元年第一回長州征伐の恭順 [...]

横大路城跡・松崎城跡 投稿日2018年3月24日
横大路城跡・松崎城跡 横大路城跡・松崎城跡は、日の隈山東の峰に築かれた中世の山城跡です。正確な築城年代は不明ですが、正平八年頃に一色氏により築城されたと伝えられています。日の隈山の東に位置する峰一帯に [...]

妙見宮の和気清麻呂公像 投稿日2018年3月24日
足立山と猪に乗る 和気清麻呂公像 神護景雲三年(七六九年)当社におまつりされている和気清麻呂公は、皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の邪望を打ち砕いたが、恨みをうけたため、足の筋を斬られ大隅国(現在の鹿児 [...]

龍馬とお龍が巌流島で打ち上げ花火? 投稿日2018年3月21日
龍馬もお龍も巌流島に上陸? 巌流鳥は、慶長17年(1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地として広く知られていますが、実は坂本龍馬の逸話も残されています。 慶応3年(1867年)春、下 [...]

将軍梅 投稿日2018年3月11日
正平十四年(一三五九年)の夏、征西将軍宮懐良親王を奉じた菊池武光らがこの地に陣を敷いた。親王は、念持仏である阿弥陀像をここに安置し、手向けに一株の紅梅をお手植になり、百万遍の仏名を唱えられたとされてい [...]

五郎山と天山と宝満山 投稿日2018年3月5日
福岡県筑紫野市にある歴史にまつわる三つ山を撮影しました。(北に向かって撮影しています) 手前が五郎山古墳がある原田・五郎山。五郎山古墳は終戦から2年後に発見された6世紀後半の古墳とされ内部では壁画が [...]

薩摩街道 松崎宿「油屋」 投稿日2018年3月4日
今日は晴れたので、西郷隆盛の泊まったといわれる小郡市松崎の「油屋」の撮影に行って来たのですが、残念ながら史跡「油屋」は建替中でした。 薩摩街道は島津藩が参勤交代で通った街道で松崎宿はその宿場町というこ [...]

御所ヶ谷神龍石と周辺の史跡 投稿日2018年3月4日
御所ヶ谷神龍石(ごしょがだにこうごいし)は7世紀に国外からの侵攻に備えて築かれた古代の山城跡で、面積 35万平方メートル、全周3kmにおよぶ大規模な遺跡です。切石の列石を連ね、その上に土を積んだ城壁が [...]

小倉城 投稿日2018年2月25日
小倉城 細川忠興は、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦の功により、豊前国全域と豊後国二郡を領する三十万石(検地高三十九万九千石)の大名として入国、中津城に在城した。居城を小倉に移すため慶長七年これまで [...]

西鯵坂城跡の碑 投稿日2018年1月13日
西鯵坂城跡 ここから東南二百米ばかりの所、大楠の下に小さい石の堂が建っている。ここが城の中心地で、筑後志には「筑紫上野介家宗が據りし所なり。縦六十間、横二十間の平城なり」と書いてある。宗氏代々の居 [...]

大原古戦場碑 投稿日2018年1月11日
大原合戦 天平十四年(南朝暦・一三五九年)七月から八月にかけて、およそ六万人の北軍(少弐・大友連合軍)と、およそ四万人の南軍(懐良親王・菊池武光軍)が、宝満川流域の味坂・大原・西島・山隈を含む筑 [...]

鳥取城跡の吉川経家公像 投稿日2018年1月9日
吉川経家の鳥取籠城と自刃のこと 天正九年、天下制覇を目指す織田信長の先鋒として、羽柴秀吉の山陰侵攻が必至となりました。この情勢に対応して、鳥取城を守る軍勢は、吉川の一門につながる有力な武将の派遣 [...]

小倉城の珪化木 投稿日2018年1月7日
響灘の珪化木(けいかぼく) 木の幹が地層にうずもれて、 化石に変わったものを珪化木と呼びます。 この珪化木は、響灘の海底から引き上げられ たもので、今から約4000万年前のものです。 木の種類は [...]

伊能忠敬測量記念碑と常盤橋 投稿日2018年1月6日
伊能忠敬測量200年記念碑  江戸時代の測量家伊能忠敬は、50歳で商家の家業を長男に譲り第二の人生を志し、天文・暦学を学ぶ。寛政12(1800)年、55歳の時江戸より蝦夷地に向け測量の第一歩を踏 [...]

少弐景資の墓 投稿日2018年1月6日
少弐景資は、文永十一年(一二七四)と弘安四年(一ニハー)の二回に渡る蒙古襲来に際し、第一線の指揮官として活躍した勇将であります。 弘安七年北条時宗が病没した後、鎌倉幕府の内部一に政権争いが起こり、御家 [...]

裂田の溝 投稿日2018年1月5日
裂田の溝 さくたのうなで (築造年代 不明) この神社の後に流れているのが日本書紀に書かれている裂田の溝(さくたのうなで)です。 山田のーノ井堰から取水し、山田をはじめ、流域の六集落の田地をうる [...]

多々良浜古戦場の史跡 投稿日2018年1月4日
多々良浜古戦場 京都の合戦に敗れ、九州に逃れた足利尊氏は、宗像大宮司らの援軍を得て、建武3年(1336年)多々良川右岸に陣どり、肥後(現在の熊本県)の菊地武敏率いる九州勢と戦いました。当時、この付 [...]

名島帆柱石 投稿日2018年1月4日
ここから10m程奥に入った場所にある9個の円柱状石は、古第三紀漸新世前期(今から約3500万年前)に堆積した志免層群名島層の砂岩、礫岩層中に含まれる珪化木(けいかぼく)とよばれる樹木の化石です。香椎宮 [...]

高松兄弟生誕の地 投稿日2018年1月4日
古屋佐久左衛門先生伝 幕末開国論の先覚者古屋佐久左衛門先生は、高松虎之助直道(後に與吉と改む)の次男として、天保四年(一八三三 に生まれ名は智○通稱勝次と稱した嘉永四年(一八五二)十九才にして単身 [...]

高山彦九郎終焉の地 投稿日2018年1月4日
 高山彦九郎正之(字仲縄)は、延享四年(一七四七)、上野国新田郡細谷村(現群馬県)に生まれました。 寛政の三奇人(高山彦九郎、林子平、蒲生君平)として有名な彦九郎は、全国各地を遊歴し、当時の徳川幕府を [...]

船迫窯跡 瓦工房建物 投稿日2018年1月4日
瓦を製作した工房建物(奈良時代) 幅11.5m、長さ30mもある巨大建物が2棟並んで発見されました。しかし柱穴は10~15㎝と小さく、柱並びも悪いことから、豊前国分寺で使用する大量の瓦をここで製作 [...]

佐賀の史跡 伊東玄朴旧宅 投稿日2018年1月3日
佐賀県史跡 伊東玄朴旧宅 伊東玄朴は寛政十二年(西暦一八〇〇)農家の長男としてここに生まれました。 十一歳のとき不動院玄透法印(げんとうふいん)について漢学を学び、十七歳で自宅にて漢方医を開きま [...]

博多の人魚伝説 投稿日2017年10月1日
博多冷泉町にある竜宮寺には人魚の物と言われる骨が安置され、「人魚伝説」が伝えられています。 鎌倉時代の1222年、博多津(冷泉津)で150m(異説あり)に近い巨大な人魚が捕らえられ、櫛田神社に近い浜 [...]

宗像市の平信盛公墓 投稿日2017年5月4日
- 平信盛公墓の碑 - 墓は白塀の奥にあり、案内板には次の通り記載されています。 宗像市 文化財第一号 史蹟 (昭和四十九年三月三十日) 名称 平信盛笠塔婆 一基 説明 この墓碑は平信盛(清盛の [...]

赤間宿の「五卿 西遷の碑」 投稿日2017年5月4日
- 五卿 西遷の碑 - 案内板には野村和作、三条実美、早川勇の写真と共に、次の通り記載されています。 五卿 西遷の碑 幕末の文久3年(1863年)8月18日の政変によって、攘夷派の急先鋒だった三 [...]

芦屋の史跡 -義将二人- 投稿日2017年5月3日
豊後の緒方氏の兵に大宰府を追われた平家一門は博多の東の箱崎を抜け、そこから東の海岸沿いに遠賀川河口の山鹿へ向かいます。 山鹿といえば熊本県山鹿市が有名なのですが、福岡県遠賀郡の芦屋町にも山鹿という土地 [...]

維新之志士 早川勇顕彰碑 投稿日2017年5月3日
- 維新之志士 早川勇顕彰碑 -案内板には早川勇の写真と共に、次の通り記載されています。 明治維新の志士 早川 勇 早川勇は幕末から明治へ 高杉晋作、西郷隆盛、中岡慎太郎、平野国臣、野村望東尼 [...]

なぬなぬ!!「ういろう」の元祖? 投稿日2017年5月3日
- 妙楽寺の「ういろう伝来之地の碑」 - 「ういろう」の本場と言えば名古屋、小田原、京都などいろんな説があるようですが、なんと「ういろう」の元祖は博多の妙楽寺にありました。妙楽寺の境内には「ういろう [...]

住吉神社の古代力士像 投稿日2017年5月3日
- 住吉神社の古代力士像 - 力士像の横に石版が建てられており、次の通り案内文が彫られています。 古代力士像 住吉大神をお祀りする神社が全国に約二千社ありますが、当社はその最初の神社と云わ [...]





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