伊能忠敬測量200年記念碑
江戸時代の測量家伊能忠敬は、50歳で商家の家業を長男に譲り第二の人生を志し、天文・暦学を学ぶ。寛政12(1800)年、55歳の時江戸より蝦夷地に向け測量の第一歩を踏み出した。以後17年の長きにわたり日本全国の測量を行い、我国初めての実測による当時世界最高水準の日本地図を完成した。この間の歩み四千万歩、地球一周分の距離に及ぶ。
九州には、忠敬64歳の時から高齢にも拘らず前後二回に及ぶ困難な測量作業を行った。
この小倉城下・常磐橋は、九州伊能測量の始発点であり、小倉の五街道(長崎街道・唐津街道・中津街道・秋月街道・門司往還)の起点として意義深き地点である。
ここに、伊能測量開始200年を記念しその偉大な業績を讃え、顕彰碑を建立する。
平成13年9月建立 寄 贈 伊能忠敬記念碑建設実行委員会
常盤橋の由来
北九州市
常盤橋は江戸時代の初め頃、小倉の城下町の東曲輪(主として町人が生活していた地域)と西曲輪(主として武士が生活していた地域)を結ぶ、重要な橋として架けられ、当初は大橋と呼ばれていました。
この橋の西勢溜(橋詰)が長崎街道の起点となっていたため橋の周辺は幕府役人や旅人の宿などが建ち並んでにぎわっていました。
参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、多くの人々がこの橋を渡っています。中でも有名なのがドイツ人医師シーボルトで、この橋を銅版画で紹介しています。
このように海と陸の玄開口として、九州の各街道すべてがこの大橋に連なり、九州における日本橋となっていました。
治水対策として川幅を広げるため橋の架け替えが必要になったのを機会に、コンクリートと同じ強さを持つ木材を使い、江戸時代の姿「木の橋」としてよみがえることとなりました。(平成7年3月完成)
現地にある案内板より