五輪ショーディレクターの小林賢太郎氏が芸人時代にホロコーストに関連して心無い表現をしたとして、アメリカのユダヤ団体より指摘され解任されました。ユダヤ団体の怒りは最もで、当人及び相方の謝罪文が発表され、大会組織委員会の橋本会長が解任を発表謝罪にいたりましたが、その後、開会式の取りやめまで取り沙汰されています。
ただ、なぜにして開会式の前日にこの事態に落ちいるのか非常な疑問が残ります。テレビの評論家は表面的な事だけを取り上げ批判を繰り返しますが、評論家は多方面から見た発言も発するべきなのではと感じます。一評論家の声だけが方向性を決定できるような番組の場合は特にそれが必要だと思われます。
この件は、国際関係に関わる事なので、国として指摘したユダヤ団体に謝罪し、開会式はそのまま開催するしかないというのが、一日本人としての意見です。
開会式を取り止め入場行進だけで済ますという案も出ているようですが、一日で原稿を書き換える行為だけならまだしも、人や物の流れや時間の管理など膨大な作業を削除し、新たに人の配置や作業の手はずを組みなおさなければなりません。二十数時間で、これを完了させるのは非現実的な話で、コメンテータの方々が声高々に「開会式取り止め」を叫ばれるのはどういった認識からなのだろうろかと疑問を持たずにはいられません。