カテゴリー: Draft
勝先生、容易に胸襟を開かず
先生に従って教を請わんと欲せば、真に先生によりて学ぶの決心なかるべからず。しからずんば、先生は容易にその胸襟(きょうきん)を開かず。ただ放言(ほうげん・無責任に言い散らす事)大語(たいご・大げさなに言う事)してその人を驚 […]
臣下百姓の罰おそるべし
神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下百姓の罰おそるべし。 益軒はその理由を次のとおり記しています。 神の罰は祈ってまぬがれ、主君の罰はお詫びをして許しを請えばよい、ただ部下や民に疎まれては、かならず国を失う事に […]
毛利勝永、小倉を去る
毛利勝永は秀吉配下の森吉成(のち毛利勝信)の嫡男で、九州征伐の功により、田川企救郡を賜った父に従い小倉城に入ります。そして父・勝信は、約13年間この地を治めますが、その間に近隣の大勢力・毛利氏との繋がりで、姓を毛利に改め […]
武市瑞山先生殉節之地
武市小楯 通称は半平太 瑞山と号す 文政十二年九月長岡郡咲井村に生る 天資英偉明秀人格一世に高し幕末多難の際 土佐勤王党を率い国事に奔走す 後吉田東洋暗殺に連座し慶應元年閏五月十一日この地に割腹す 時に年三十有七 高知市 […]
二卿事件 -久留米藩難-
明治初期の反政府騒乱は、1874年(明治7年)の「佐賀の乱」、明治9年の「神風連の乱」、「秋月の乱」、「萩の乱」、明治10年の「西南戦争」と続きますが、「二卿事件」と言う出来事が、これより以前の明治4年に発生しています。 […]