カテゴリー: Draft

不足不平は一概にわるくないヨ
海舟は「定見深睡」とゆう西洋の言葉をとり挙げて、定見に固執することを戒めています。 今日の是は、 続きを読む…

海舟は性善説?性悪説?
『新訂海舟座談』で海舟は性善説、性悪説に言及しています。 孟子は、性善といい、荀子は性悪といった 続きを読む…

勝海舟の不党のすゝめ
勝海舟は多数の弟子や学びを請う若者が多かったにも関わらず、党を作って時世を動かそうという行動をとっていません。 続きを読む…

その身を世間の風浪に投ず
天下は、大活物だ。区々たる没学問や、小智識では、とても治めて行くことは出来ない。世間の風霜に打たれ、人生の酸味 続きを読む…

臼井六郎の叔父・八坂甚八
八坂甚八は黒船来航の年に鳥栖で生まれます。明治期に財力を元手に運送業で事業を起こし、九州鉄道の分岐点を鳥栖駅に 続きを読む…

『氷川清話』と『海舟座談』
『氷川清話』(講談社学術文庫)は吉本襄(のぼる)が海舟に関する記事を収集し編集した『海舟先生氷川清話』を検証再 続きを読む…

人を棄てあるいは笑うべからず
山岡鉄舟は「人にはすべて能不能あり 一概に人を棄てあるいは笑うべからず」という言葉を残していますが、鉄舟にとっ 続きを読む…

海舟が恐れたもう一人の男
勝海舟は横井小楠と西郷隆盛を恐ろしい人物として挙げていますが、別の意味で恐れたもう一人の男として河上彦斎を挙げ 続きを読む…

卑弥呼の親魏倭王印?
西暦238年、魏の曹叡(曹操の孫)は朝貢した倭王の卑弥呼に対し「親魏倭王」の称号を与え金印を授けます。中国の史 続きを読む…

金印の「委」は「倭」の略字?
「委字は倭字を略したる者と相見えん」これは亀井南冥の金印鑑定書に書かれる言葉になります。『「漢委奴国王」印の「 続きを読む…

本能寺の報、毛利に届く
秀吉の陣に本能寺の報が届いたのは1582年6月4日未明になります。孝高は早朝に毛利に使者を遣わし「約束の人質の 続きを読む…

本能寺の変を報せた男
本能寺の変は1582年6月2日の午前4時頃、明智光秀の軍が本能寺を取り囲んで始まります。 この事変の報を受けた 続きを読む…

事は密を以って成る?
「京都にありし信長の臣長谷川宗仁より飛脚来りて、孝高に対面し、昨二日(1582年6月2日)京都において、信長公 続きを読む…

男装の漢詩人・原采蘋
福岡では幕末維新期に男装の女医・高場乱が登場しますが、一世代前の1798年にもう一人の男装の漢詩人・原采蘋(は 続きを読む…

白滝神社「白滝夫婦木」
「白滝夫婦木」 白滝神社の御神木、クスの木とムクの木は仲良く絡み合いながら成長しています。クスの木の幹まわりは 続きを読む…

日本人の学生はWhyが少ない?
九州帝国大学初代総長の山川健次郎は入学式の訓示で「日本の学生はHowを重視するがWhyが少ない」とイギリス人講 続きを読む…