五卿潜居由来

五卿潜居由来

七卿潜居由来
 文久三年(一八六三)八月の政変によって朝議は公武合体の方針をとり、尊攘派の長州は皇居護衛の任を解かれたために三条実美ら尊王派の七卿を奉じて山口に帰った。
翌元治元年第一回長州征伐の恭順講和の条件として当時五卿となっていた三条卿らを大宰府に移すことになった。その十一月十七日は、やむなく諸隊に護られて一旦長府に移り功山寺書院に二ヶ月滞在して大宰府に移った十二月十五日の夜高杉晋作は五卿を潜居の間に決意を述べ義兵をこの門前に挙げた。

長府観光協会

長府功山寺にある「五卿潜居由」の案内板より