古屋佐久左衛門

古屋佐久左衛門

筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎(のぶお)と共に衝鋒隊を率い北関東、越後、会津、箱館と転戦し最期は官軍の艦砲射撃に合い被弾、37歳で幕府に殉じます。
語学堪能で神奈川奉行所で通訳していた頃に横浜で町屋の子供がイギリス人の乗った馬に蹴られ大怪我をする事故が起こりますが、泣き寝入りになりそうなところを佐久左衛門がイギリス領事館に乗込み交渉、治療費を出させたと言う逸話を残しています。


写真は小郡市古飯にある「古屋佐久左衛門の生誕の地」碑になります。佐久左衛門に関しては東郷隆氏の「我餓狼と化す」(実業之日本社文庫)に詳しく書かれています。