武市半平太邸跡及び道場跡

武市半平太邸跡及び道場跡

土佐勤皇党首領である武市半平太(瑞山)は、嘉永3(1850)年に長岡郡吹井村(現高知市)から祖母と妻冨とともに城下の新町田淵に移り住み、安政2(1855)年の春、間口6間・奥行4間(11m×7.3m)の道場を建てた。午前は妻の叔父島村寿之助が槍術を、午後は半平太が剣術を教えたこの道場には、120人ほどの門人がいたが、中岡慎太郎・岡田以蔵・久松喜代馬・五十嵐文吉ら勤皇運動に参加したものも多く、坂本龍馬もよく来ていたと言われる。
この石碑は通りの北側に設置されていたものだが実際に邸と道場のあった場所は、ここから約30m東の道路北側付近と推定される。

1993(平成5)年7月 高知市教育委員会


現地にある高知市教育委員会の案内板より