吉田稔麿誕生の地

吉田稔麿誕生の地

吉田稔麿は、1841年(天保12)、足軽の長男としてこの地に生まれた。松下村塾に入門し、高杉晋作らとともに松陰門下の四天王といわれた。吉田松陰の死後、尊王攘夷運動に参加し、屠勇隊(有志の部隊)を組織した。
1864年(元治元年)、京都三条の池田屋旅館で他藩の志士と会談中、新撰組に襲われ負傷し、24歳の若さで死去した。

萩市


現地にある萩市の案内板より