九州帝国大学初代総長の山川健次郎は入学式の訓示で「日本の学生はHowを重視するがWhyが少ない」とイギリス人講師から指摘された事を挙げ、疑問を持ち考える事を要望したといいます。
山川健次郎は会津・白虎隊の生き残りで、兄は指導者として戊辰戦争、西南戦争を戦った会津藩士・山川浩、妹は津田梅子の親友で「鹿鳴館の花」と呼ばれた大山捨松。その他、健次郎が係わった維新の著名人は松平容保の側近・秋月悌次郎、萩の乱に散った長州の奥平謙輔、第二代内閣総理大臣の黒田清隆などがいます。また、戊辰戦争で会津のために戦った新選組の三番隊長・斎藤一とも懇意にしたようです。