横大路城跡・松崎城跡
横大路城跡・松崎城跡は、日の隈山東の峰に築かれた中世の山城跡です。正確な築城年代は不明ですが、正平八年頃に一色氏により築城されたと伝えられています。日の隈山の東に位置する峰一帯に松崎城跡が、最も南に横大路城跡が築かれ、中間部の鞍部付近には松崎城跡の出城が位置しています。山頂より尾根部分には、掘割や土塁が見られ、大小の曲輪が形成されています。
文献記録では、延文五年の高本貞房軍忠状に、少弐頼尚に属して宮方に敵対していた高本貞房が横大路城攻めに参加したこと、宗経茂書状案にも少弐方宗刑部丞経茂が横大路城と松崎城を攻めていることが分かります。
本城跡は、北に位置する勢福寺城跡との関係が重要で、南面を守る出城的な位置付けを持つものと考えられます。
神埼市教育委員会
佐賀県神埼市神埼町の日の隈公園にある神埼市教育委員会の案内板より
地図写真も案内板に掲載されているもので、地図の左側が北方向になります。
横大路城跡は日の隈公園の東側にあった出城で、本城・松崎城跡はNHKの電波塔から100mほど東南の頂にあったと思われます。案内板に書かれている内容は南北朝時代の事で、戦国時代には松崎城の1km程北側の、背振山系の尾根に勢福寺城が築かれ、龍造寺隆信に攻められた少弐氏最期の頭首・少弐冬尚がこの勢福寺城で自刃してたといわれます。そして日の隈山の東側(写真地図では松崎城跡の上方)にはその冬尚の墓が残っています。