吉田東洋先生殉難之地

吉田東洋先生殉難之地

吉田東洋(1816-1862)
本名正秋通称元吉 15代藩主山内豊信(容堂)に信任され 安政改革を推進文武館を建設 「海南政典」を編さんしたが公武合体策を堅持したため 武市瑞山の率いる土佐勤王党の刺客により 文久2年4月8日に暗殺された


現地に置かれる石板より