久坂玄瑞誕生地

久坂玄瑞誕生地

久坂玄瑞 平安古町

幕末の志士。この地に出生。明倫館に入り、のち医学館で学ぶが、医学を好まず吉田松陰に学んで高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された。長井雅楽の航海遠略策に反対し、藩論を尊攘討幕に一変させ、攘夷督促勅使東下の奏請に奔走、英国公使館の焼打に下関の外国船砲撃に参加した。元治元年(一八六四)蛤御門の変に敗れ、鷹司邸内で自刃した。享年二十五。

萩  市


現地にある萩市の案内板より