カテゴリー: Tosahan
武市瑞山先生殉節之地
武市小楯 通称は半平太 瑞山と号す 文政十二年九月長岡郡咲井村に生る 天資英偉明秀人格一世に高し幕末多難の際 土佐勤王党を率い国事に奔走す 後吉田東洋暗殺に連座し慶應元年閏五月十一日この地に割腹す 時に年三十有七 高知市 […]
板垣退助先生誕生之地
板垣退助(1837-1919) 戊辰の役には藩兵千人を率い東山道先鋒を務めた 立志社をつくり自由民権運動をおこす 自由党の総理となり全国遊説中 明治15年岐阜で刺される 「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は有名 晩年は有 […]
吉田東洋先生殉難之地
吉田東洋(1816-1862) 本名正秋通称元吉 15代藩主山内豊信(容堂)に信任され 安政改革を推進文武館を建設 「海南政典」を編さんしたが公武合体策を堅持したため 武市瑞山の率いる土佐勤王党の刺客により 文久2年4月 […]
後藤象二郎先生誕生之地
後藤象二郎(1838~1897) 天保9年3月19日この地に誕生 義叔父執政吉田東洋に学び 藩政に抜擢される 第15代藩主山内豊信(容堂)の信任を受け公武合体論を唱え土佐勤王党と対立 武市瑞山らを断獄する のち坂本龍馬と […]
福岡孝弟先生誕生之地
福岡孝弟(1835-1919) 通称藤次 維新の進歩的で偉大な政治家で 大政奉還に尽力 五箇条御誓文は孝弟が由利公正 木戸孝允と協力した文案である 文部卿となり 枢密院顧問官議定官となる。 現地にある石碑より
武市半平太邸跡及び道場跡
土佐勤皇党首領である武市半平太(瑞山)は、嘉永3(1850)年に長岡郡吹井村(現高知市)から祖母と妻冨とともに城下の新町田淵に移り住み、安政2(1855)年の春、間口6間・奥行4間(11m×7.3m)の道場を建てた。午前 […]