カテゴリー: Draft

楽しみを失なうべからず。
益軒は「養生訓」に次の通り書いています。 楽しまずして天地の道理にそむくべからず。 つねに道を以 続きを読む…

必ず何か一得はあるものだ。
人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役に立たぬといつても、必ず何か一得はあるものだ。おれはこれ 続きを読む…

窮屈逼塞は天地の常道ではないヨ。
海舟は「氷川清話」に方針を固持してはいけないと書いています。 我に四角な箱を造って置いて、この箱に丸い物や三角 続きを読む…

「氷川清話」は幕末史の原典?
「氷川清話(講談社学術文庫)」を読み始めてすぐは、自分の幕末における知識が間違っていなかったことに安心していた 続きを読む…

勝海舟の黒田長溥・評
勝海舟は福岡藩第11代藩主・黒田長溥について氷川清話(講談社学術文庫)で次の通り語っています。 「幕府時代の大 続きを読む…

寝転んで待つのが第一サ。
最近、勝海舟の談話集「氷川清話」(講談社学術文庫)を読んでいるのですが、その中で海舟は悪い立場に陥った際の対処 続きを読む…

豊前、筑前、筑後について
現在の福岡県は大まかに分けて北部と南部の二つの地域に分かれていて、同じ福岡県人でも言葉やイントネーション、文化 続きを読む…

野上一閑と三奈木弥平次
大友氏が島津氏に大敗を喫した耳川の戦いから3年、筑後平野では秋月氏や龍造寺氏が弱体化する大友配下の諸城に攻めか 続きを読む…

福岡の一夜城・益富城
島津氏の九州制覇を阻止すべく1587年、豊臣秀吉は二十数万の軍を九州に上陸させ、自らも九州に乗込み小倉から行橋 続きを読む…

西光寺の鐘は中山鹿之介の陣鐘?
明治30年(1897年)頃の事、早良内野の西光寺の檀家衆はお伊勢参りに出かけます。その帰途、大阪に泊まった一行 続きを読む…

「白村江の戦い」の帰還兵・博麻
大伴部博麻(おおともべのはかま)は現在の八女市上陽町の出身で663年の「白村江の戦い」に出征し、唐軍の捕虜とな 続きを読む…

王道は偏なく党なくして平平なり。
貝原益軒の養生訓には次のとおり書かれています。 「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見(し 続きを読む…

宇佐八幡宮神託事件-豊前の伝説-
宇佐八幡宮神託事件は続日本記(しょくにほんぎ)に書かれている出来事です。 続日本記の記事は769年、称徳天皇の 続きを読む…

帰ってきた「親不孝通り」
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通 続きを読む…

横大路城跡・松崎城跡
横大路城跡・松崎城跡 横大路城跡・松崎城跡は、日の隈山東の峰に築かれた中世の山城跡です。正確な築城年代は不明で 続きを読む…

妙見宮の和気清麻呂公像
足立山と猪に乗る 和気清麻呂公像 神護景雲三年(七六九年)当社におまつりされている和気清麻呂公は、皇位を奪おう 続きを読む…

龍馬とお龍が巌流島で打ち上げ花火?
龍馬もお龍も巌流島に上陸? 巌流鳥は、慶長17年(1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地とし 続きを読む…