神埼の櫛田宮

神埼の櫛田宮

ご由緒沿革
大昔 荒ぶる神が人々を害したが、景行天皇が櫛田宮を創建されてからは災厄はなくなり神の幸の郡と名づけた(神埼郡)。今から千九百余年前 吉野ヶ里遺跡と同時代の事である。
皇室領の神埼庄の郡中総鎮守神社として櫛田三神を祭り(須佐之男命、櫛稲田姫命、日本武命)九州大社と称せられた。
鎌倉時代蒙古襲来の時、本宮の神剣を博多櫛田神社へ移して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがあったので、厄よけの神と崇敬された。縁起書に「万民を利益しましますこと凡智の測量する所にあらず」と記してある。
鳥羽、後白河、順徳天皇より社殿ご造営あり、武将や藩主も崇敬あつく神領を寄進した。
明治十三年県社となったが終戦により廃す。 昭和二十七年「櫛田宮」と復古改称認可あり。


神埼の櫛田宮の「ご由緒沿革」案内板より
写真は1602年建立の「二の鳥居」になります。