Draft

Draft

「福岡史伝」に記載する記事の下書きや名所旧跡に置かれている説明文を掲載しています。

 


「福岡史伝」
-福岡2000年の歴史をかんたん簡単解説-

 

福岡の歴史は古く、西暦57年に中国後漢の光武帝より奴国王に金印が送られ、それから約三百年後に書かれた三国志にも奴国として登場します。
以来、磐井の乱、白村江の戦い、高僧鑑真の来日、菅原道真の左遷があった平安時代から、元寇「文永・弘安の役」の鎌倉時代、足利尊氏、菊池武光、今川了俊などの英雄を輩出した南北朝時代、高橋紹運の岩屋城籠城戦と豊臣秀吉の「博多町割り」、五卿の遷座と筑前勤皇党の幕末。

日本史の重要な場面には必ず登場するのが福岡です。福岡の歴史を知ることで、日本史の全体像を側面から捉える事ができるものと思われます。

そんな福岡の歴史を名所旧跡をまじえながらご紹介します。
遠方で歴史研究をされている方、観光、出張で福岡に来られる方のために僅かでもお役に立てればと考えています。

福岡史伝


 

 

【Draftに関する投稿】

ただ佞臣のみ重んずれば・・・ 投稿日2019年9月8日
ただ佞臣のみ重んずれば義臣滅し、賢臣黙り、愚臣遁走す。 太鼓持ち、提灯持ち色々言い方はあるようですが、一概に佞臣を否定する訳ではありません。大きな仕事を行うにはやはり集団の仕事となり、そのリーダーは [...]

外交の極意は誠心誠意 投稿日2019年9月5日
「外交の極意は、誠心誠意にあるのだ。胡麻化しなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ。」 と「氷川清話」で勝海舟は語っています。そして 「日米修好通商条約を結ぶ際は [...]

子供を教育するには・・・ 投稿日2019年8月31日
「子供を教育するには、よほど気を付けんといかん。 あまり学問々々といって居ると、口ばかり達者になってじきに親爺をやりこめるようになるよ。 (中略) しかしそういう息子のある家の庫(くら)には遠からず蜘 [...]

志賀島と海の中道 投稿日2019年8月13日
福岡の志賀島は砂州で九州本土とつながる陸繋島(りくけいとう)になります。そして志賀島と九州本土をつなぐ砂州が「海の中道」と呼ばれています。写真は「海の中道」から志賀島方向を撮影したもので、後方が九州本 [...]

水時計があったとされる大宰府・築山 投稿日2019年8月12日
中大兄皇子が開発した「漏刻(水時計)」が設置されていたといわれる築山。 太宰府政庁のすぐ東側にある小高い山ですが、高台に「漏刻」を置くと水はどのように導いたのだろうという疑問が生まれます。 「漏刻」は [...]

柴田城址 投稿日2019年8月4日
鎌倉時代末期~南北朝時代 応安5年(1372年)菊池武光らの砦か? 菊池武光 元応元年(1319年)?~応安6年(1373年12月29日)高良山攻防戦の最中死去 戦国時代(1467年~1584年)末期 [...]

海舟の虚心坦懐 投稿日2019年7月27日
「勝敗を急ぐと、頭に血が上り、鼓動も早くなる。そうなると対応が裏目に出て、逆に進退を危うくすることから逃れられなくなる。もし逃れられたとしても防御に立とうとする気が起こり、相手に乗じられてしまうものだ [...]

経済とは生き物!? 投稿日2019年6月9日
「経済とは生き物やね」。バブルという言葉が派生する数年前の頃、不景気についての会話中に経理課の同僚がつぶやいた言葉です。 恐らく前日の報道番組の請け売りだったのでしょうが、その報道番組を見ていた自分も [...]

楽しみを失なうべからず。 投稿日2019年5月29日
益軒は「養生訓」に次の通り書いています。   楽しまずして天地の道理にそむくべからず。 つねに道を以て欲を制して楽しみを失なうべからず。   楽しみを求めることは人として当 [...]

必ず何か一得はあるものだ。 投稿日2019年5月27日
人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役に立たぬといつても、必ず何か一得はあるものだ。おれはこれまで何十年間の経験によつて、この事のいよいよ間違ひないのを悟ったヨ。 勝海舟談話集「氷川 [...]

皆美を好むべからず 投稿日2019年4月20日
すべての事に完璧を求めると、心のわずらいとなり余裕がなくなってしまう。 人に完璧を求めて、人の足らないところを怒ったり咎めれたりすれば、心のわずらいとなる。 また日用の飲食、衣服、器物、家居、草木など [...]

窮屈逼塞は天地の常道ではないヨ。 投稿日2019年4月2日
海舟は「氷川清話」に方針を固持してはいけないと書いています。 我に四角な箱を造って置いて、この箱に丸い物や三角の物を詰め込むのはご苦労千万な事だ。 執一の定見をもって天下を律せんとするのは、決して王道 [...]

「氷川清話」は幕末史の原典? 投稿日2019年3月17日
「氷川清話(講談社学術文庫)」を読み始めてすぐは、自分の幕末における知識が間違っていなかったことに安心していたのですが、読み進めるうちに今までに小説やテレビの歴史情報番組から得た自分の幕末史の知識の半 [...]

勝海舟の黒田長溥・評 投稿日2019年3月10日
勝海舟は福岡藩第11代藩主・黒田長溥について氷川清話(講談社学術文庫)で次の通り語っています。 「幕府時代の大諸侯にして、最も早く外国の事に注意したるは黒田長溥公であつた。」 黒田長溥の蘭癖は流行 [...]

寝転んで待つのが第一サ。 投稿日2019年2月24日
最近、勝海舟の談話集「氷川清話」(講談社学術文庫)を読んでいるのですが、その中で海舟は悪い立場に陥った際の対処方法を次のとおり語っています。   「上がった相場も下がるときがあるし、下がっ [...]

豊前、筑前、筑後について 投稿日2018年12月30日
現在の福岡県は大まかに分けて北部と南部の二つの地域に分かれていて、同じ福岡県人でも言葉やイントネーション、文化が微妙に違います。これは佐賀県でも同様のようで、山に隔てられた北部の玄海灘側と南部の有明海 [...]

野上一閑と三奈木弥平次 投稿日2018年12月17日
大友氏が島津氏に大敗を喫した耳川の戦いから3年、筑後平野では秋月氏や龍造寺氏が弱体化する大友配下の諸城に攻めかかります。これに大友宗麟は救援の軍を送りますが、この兵の中に野上入道一閑という豪傑がおりま [...]

昔は瓢箪で鵜飼? 投稿日2018年12月4日
江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。 「江戸時代の初期頃までは漁師は大きな瓢箪を背につけてよりかかり、水にうかんで、右の手にススキの松明を持ち、左の手で2~ [...]

福岡の一夜城・益富城 投稿日2018年11月3日
島津氏の九州制覇を阻止すべく1587年、豊臣秀吉は二十数万の軍を九州に上陸させ、自らも九州に乗込み小倉から行橋をまわって筑豊に入り、島津方の秋月種実の城を攻略します。秀吉軍の勢いに形勢不利とみた種実は [...]

俗明院の由来 投稿日2018年10月14日
西鉄朝倉街道駅の南に俗明院という土地がありますが、貝原益軒は「筑前国続風土記」にその由来を次の通り記しています。 「太宰府の西南にある村の名なり。むかし九國二島より太宰府に来りし民、若くは久しく逗留 [...]

古屋佐久左衛門 投稿日2018年10月8日
筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では [...]

西光寺の鐘は中山鹿之介の陣鐘? 投稿日2018年9月9日
明治30年(1897年)頃の事、早良内野の西光寺の檀家衆はお伊勢参りに出かけます。その帰途、大阪に泊まった一行が街中を散策中、一人の檀家が古物商の軒先に雨ざらしになった梵鐘に目を止めます。汚れた上に乳 [...]

「白村江の戦い」の帰還兵・博麻 投稿日2018年9月2日
大伴部博麻(おおともべのはかま)は現在の八女市上陽町の出身で663年の「白村江の戦い」に出征し、唐軍の捕虜となります。 翌年には土師富杼(はじのほど)ら4名が唐人の計画を朝廷に知らせようと帰国を考えま [...]

王道は偏なく党なくして平平なり。 投稿日2018年9月1日
貝原益軒の養生訓には次のとおり書かれています。 「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見(しきけん)なければその才弁ある説に迷いて、偏執に泥(なず)む。」 (後世の人は、その偏見に [...]

朝日山城跡 投稿日2018年8月19日
九千部山麓の南に横たわる朝日山は、頂上からの展望はすばらしく、また交通の要衝にあたるため、古代からさまざまに利用されています。『肥前風土記』によれば朝日山に烽が置かれ、西九州と大宰府を結ぶ重要な情報線 [...]

阿蘇神社 投稿日2018年8月19日
阿蘇神社は阿蘇の国つくりの主、健磐龍命を始め十二神を祀り、肥後-の宮として古代から重要な地位を占めてきました。 阿蘇神社で執り行われている国指定重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」は阿蘇谷に暮らす人々 [...]

マルちゃん訪問 投稿日2018年7月16日
昨日、テレビで有名になった嘉麻市・前田酒店の店番犬・マルちゃんに会いに行ってきました。 中に入ると、マルちゃんは店内の片隅でお昼寝中。 見知らぬ来客に気がついたマルちゃん、戸惑い気味でおかあさんの顔を [...]

神埼の櫛田宮 投稿日2018年6月17日
ご由緒沿革 大昔 荒ぶる神が人々を害したが、景行天皇が櫛田宮を創建されてからは災厄はなくなり神の幸の郡と名づけた(神埼郡)。今から千九百余年前 吉野ヶ里遺跡と同時代の事である。 皇室領の神埼庄の郡中総 [...]

宇佐八幡宮神託事件-豊前の伝説- 投稿日2018年5月7日
宇佐八幡宮神託事件は続日本記(しょくにほんぎ)に書かれている出来事です。 続日本記の記事は769年、称徳天皇の怒りの詔(みことのり)から唐突に始まります。 「臣下というものは、君主に従い清く貞しい明る [...]

奇兵隊陣屋跡 投稿日2018年5月4日
文久三年(一八六三)六月、萩本藩主の命を受けた高杉晋作が馬関に出張し、武士以外の人たちも入隊を許し、奇兵隊を結成した。 奇兵隊は翌、元治元年、米、英、仏、蘭、四ヶ国連合艦隊を前田砲台などに迎撃し、勇気 [...]





[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]