Draft

Draft

「福岡史伝」に記載する記事の下書きや名所旧跡に置かれている説明文を掲載しています。

 


「福岡史伝」
-福岡2000年の歴史をかんたん簡単解説-

 

福岡の歴史は古く、西暦57年に中国後漢の光武帝より奴国王に金印が送られ、それから約三百年後に書かれた三国志にも奴国として登場します。
以来、磐井の乱、白村江の戦い、高僧鑑真の来日、菅原道真の左遷があった平安時代から、元寇「文永・弘安の役」の鎌倉時代、足利尊氏、菊池武光、今川了俊などの英雄を輩出した南北朝時代、高橋紹運の岩屋城籠城戦と豊臣秀吉の「博多町割り」、五卿の遷座と筑前勤皇党の幕末。

日本史の重要な場面には必ず登場するのが福岡です。福岡の歴史を知ることで、日本史の全体像を側面から捉える事ができるものと思われます。

そんな福岡の歴史を名所旧跡をまじえながらご紹介します。
遠方で歴史研究をされている方、観光、出張で福岡に来られる方のために僅かでもお役に立てればと考えています。

福岡史伝


 

 

【Draftに関する投稿】

黒田家譜 孝高 投稿日2020年5月9日
黒田官兵衛孝高は雪の積った日に生まれます。 貝原益軒は黒田家譜で次の通り描写しています。   「母は明石氏、天文十五年・・・孝高播州姫路に生(うめ)り。この時雪降りてその家おおう」 益軒は [...]

大伴部博麻呂の碑 投稿日2020年5月7日
大伴部博麻呂の碑 文久3年(1863)北川内村神職小川柳好幸氏は博麻の事蹟を考慮、庄屋木下甚助氏を始め村民有志等に相議(あいかたり)、久留米藩の国学者矢野一貞、船曳鉄門氏等の協力により、博麻の事 [...]

休松の戦い 投稿日2020年5月5日
織田信長が斎藤氏の稲葉山城を攻略し天下布武の印を使い出した頃、筑前では毛利氏の援助を受けた秋月氏が大友氏に対し抵抗の狼煙を挙げます。これに大友宗麟は2万の軍を派遣し秋月氏の本拠地・古処山城を攻めようと [...]

水田天満宮と恋木神社 投稿日2020年5月5日
筑後市にある水田天満宮は鎌倉時代に菅原道真公を祀り創建された神社になります。幕末の志士・清川八郎は「九州第二天満宮なり」と自著に記述していることが水田天満宮のページに記載されています。 この地は、筑後 [...]

史跡 筑後国府跡 投稿日2020年5月3日
史跡 筑後国府跡 平成 8年 3月26日(国史跡)  平成19年 2月 6日(追加指定) 平成15年 8月27日(追加指定) 平成24年 9月24日(追加指定)    筑後国府につ [...]

将軍藤 投稿日2020年4月26日
菊池氏の軍勢を得て、筑後川の戦で武家方に勝利した懐良親王が植えたといわれる藤の花。4月末から5月初旬が見頃とのことですが・・・。マスクを装着しての散策ぐらいは良いのでしょうか?それとも買い物以外はステ [...]

太宰府天満宮 如水の井戸 投稿日2020年4月23日
如水の井戸 福岡藩主黒田長政の父孝高(如水法号)は、天満宮を深く崇敬して、此処に草庵を建て、二年間隠棲の際使用した井戸です。 太宰府天満宮「如水の井戸」の案内板より 「如水の井戸」は太鼓橋を渡っ [...]

足立山の伝説 投稿日2020年4月22日
数年前、北九州にある足立山妙見宮の和気清麻呂公像を撮影に行ってきたのですが、その帰り、住宅街の通りを車で走っていると、なんか歩道を歩く犬・・・チョットした違和感が・・・「ん!」リードを引っ張る飼い主が [...]

若宮八幡宮狛犬 投稿日2020年4月19日
うきは市指定文化財(第一号) 若宮八幡宮狛犬(一対) 弘化二年(一八四五年)の記年銘が残る青銅製の狛犬・江戸時代、吉井の豪商で室屋と称した藤江伴右衛門の寄進である。 筑前博多の山鹿平次郎の制作によるも [...]

太宰府天満宮の梅と餅 投稿日2020年3月1日
三連休に太宰府天満宮へ散策へ行ってみました。コロナウイルスで大変な時期でしたが参道は多くの観光客であふれ、梅もまずまずでした。白梅の「飛梅」がだいぶ過ぎていたようですが、楼門側の紅梅は満開に近い状況で [...]

ケネディが尊敬した日本人 投稿日2020年1月26日
以前、ケネディ元米大統領がもっとも尊敬する日本人として上杉鷹山を挙げたという話があり、この逸話の真偽に関しネット上で肯定派と否定派が激論を戦わす時期がありました。 しかし数年前、娘であるキャロライン・ [...]

自由自在気随気儘だよ。 投稿日2020年1月20日
およそ天下に乾児(こぶん)のないものは、恐らくこの勝安芳一人だらうよ。それだから、おれは、起きようが寝ようが、喋らうが、黙らうが、自由自在気随気儘だよ。 海舟は氷川清話(講談社学術文庫)でこのように [...]

断定するのは好まない 投稿日2020年1月12日
主義といひ、道といつて、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。 単に道といつても、道には大小薄濃淡の差がある。 しかるにその一を揚げて他を排斥するのは、おれの取らないところだ。 人が来て囂 [...]

筑紫とは 投稿日2020年1月10日
益軒は筑前国続風土記の冒頭で、筑紫について言及しています。 「此國を筑紫と名付し事、古は筑前筑後一国にして、是を筑紫といへり。故に日本紀等の古書に、筑紫といへるは、多くは筑前筑後をさせり。又九國をすべ [...]

麁原元寇古戦場跡 投稿日2020年1月3日
麁原元寇古戦場跡  鎌倉時代の中頃、1274(文永11)年10月、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)とそれに服属した高麗王国の連合軍は、日本を侵攻するため、朝鮮半島を出航しました(文永の役) [...]

令和の主人公・大伴旅人は酒が大好き! 投稿日2019年12月2日
「令和」の元となった「梅花の宴」は730年の大宰帥・大伴旅人の邸宅で行われました。 「梅花の宴」といえばなんか貴族のほのぼのとした詩会が想像されるのですが、原文でも宴会となっているようで実際は新年の飲 [...]

吉野朝廷(南北朝)時代古戦場跡 投稿日2019年12月1日
吉野朝廷(南北朝)時代古戦場跡 南北朝時代(一三三三~一三九二)の土佐は、足利尊氏の重臣である細川氏の支配下にあって北朝勢力がかなり強かったが、南朝勢力は大高坂城(現在の高知城と同一地)を本拠とした大 [...]

平家最後の拠点・彦島 投稿日2019年11月24日
九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。 「屋島の戦い」の数日前には源 [...]

水城東門跡 投稿日2019年11月16日
水城の東西端には門が設けられました。ここはその東門跡で、都から大宰府への玄関口でした。 大宰府に赴任する官人たちは、水城の門で出迎えを受け、また送り出されました。実際、寛弘2(1005)年に大宰大弐と [...]

私は必ず失敗をする。 投稿日2019年11月5日
昨日は嘉麻市の「一夜城」の撮影に行って来たのですが、なんと一夜城は撤去済み、「一夜城まつり」前後2週間ほど一夜城は設置されているとの情報を頼りにしていたのですが、近くのコンビニの店員さんにお聞きすると [...]

史跡 大隈重信旧宅 投稿日2019年11月4日
【指定年月日】 昭和四〇年四月六日 【指定の基準】 史跡の部 第八(旧宅)による。 【指定の説明】 大隈重信は天保九年二月十六日佐賀会所小路に、佐賀藩士の子として生まれ、大正十一年一月十日歿した。 主 [...]

儀右衛門 からくり太鼓時計 投稿日2019年10月27日
このモニュメントは、郷土が生んだ偉大な発明家「日本第一細工師」田中久重翁(1799-1881)の生誕二百年を祝い、その業績を顕彰するため久留米市制施行百十月年記念事業として設置するものです。 この時計 [...]

旧九州鉄道城山三連橋梁 投稿日2019年10月20日
九州の近代化を担った九州鉄道の遺構 国登録有形文化財 旧九州鉄道城山三連橋梁 明治22(1889)年12月11日、九州初の鉄道会社である九州鉄道は、博多から久留米(開業時は千歳川仮停車場※)の約22k [...]

針摺石 投稿日2019年10月12日
針摺石 この針摺石には次のような伝説があり、地名の由来になっています。 その昔、太宰権帥として左遷されていた菅公(菅原道真)が、天拝山頂で身の潔白を訴えらりた帰り、この地をお通りになりました。 そして [...]

般若寺跡の石造七重塔 投稿日2019年10月6日
般若寺は大化五年(六四九)筑紫大宰帥に任ぜられた蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒のために建立したと伝えられるが、出土する瓦からは八世紀の奈良朝の建立であるといわれている。何れの時代に亡びたかは不明であるが [...]

破るる夢も惜しからず 投稿日2019年9月28日
鶯や破るる夢も惜からず 温泉に通ふ下駄と雲雀の声高し   江戸時代、黒田藩中老・立花秋水の作。 現在の筑紫野市二日市温泉に滞在中の一句になります。 この辺りは天拝山の麓で、また田園地帯が広 [...]

冷静に柔軟な判断をするには 投稿日2019年9月23日
勝海舟は「氷川清話(講談社学術文庫)」でどんな時でも、どんな場面でも冷静な判断を行うための要点を次の通り語っています。 人は何事によらず、胸の中から忘れ切るということが出来ないで、始終それが気にかか [...]

塔原の由来 投稿日2019年9月16日
筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。 貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で 「むかし此所(ここ)に塔あり、遠くより能(よく)見ゆ。此(この)塔ある故に [...]

国指定史跡 須玖岡本遺跡 投稿日2019年9月14日
国指定史跡 須玖岡本遺跡 ~岡本山地区~ 1986(昭和61)年6月24日指定 須玖岡本遺跡は弥生時代の代表的な遺跡で、中国の歴史書に記された奴国の中心地と推定されています。 奴国の丘歴史公園は須玖岡 [...]

無神経のすゝめ 投稿日2019年9月11日
無神経ほど強いものはない・・・(中略) 無闇に神経を使って、矢鱈に世間の事を苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭が禿げ鬚が白くなって・・・(中略) おれなどはとても(そうは [...]





[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]