「福岡史伝」及び「記想録」に記載する記事の下書きや名所旧跡に置かれている説明文を掲載しています。
【Draftに関する投稿】
福岡孝弟先生誕生之地 投稿日2020年6月19日
福岡孝弟(1835-1919)
通称藤次 維新の進歩的で偉大な政治家で 大政奉還に尽力 五箇条御誓文は孝弟が由利公正 木戸孝允と協力した文案である 文部卿となり 枢密院顧問官議定官となる。
現地 [...]
品川弥二郎生誕地 投稿日2020年6月18日
品川弥二郎
天保十四年(一八四三)九月、中間品川弥市右衛門の子として、萩松本村船津に生まれる。安政四年(一八五七)、十五歳のとき松下村塾に入り、当初より松陰に大変期待されたようである。文久年間(一八六 [...]
久坂玄瑞誕生地 投稿日2020年6月17日
久坂玄瑞 平安古町
幕末の志士。この地に出生。明倫館に入り、のち医学館で学ぶが、医学を好まず吉田松陰に学んで高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された。長井雅楽の航海遠略策に反対し、藩論を尊攘討幕に一変 [...]
吉田稔麿誕生の地 投稿日2020年6月16日
吉田稔麿は、1841年(天保12)、足軽の長男としてこの地に生まれた。松下村塾に入門し、高杉晋作らとともに松陰門下の四天王といわれた。吉田松陰の死後、尊王攘夷運動に参加し、屠勇隊(有志の部隊)を組織し [...]
武市半平太邸跡及び道場跡 投稿日2020年6月16日
土佐勤皇党首領である武市半平太(瑞山)は、嘉永3(1850)年に長岡郡吹井村(現高知市)から祖母と妻冨とともに城下の新町田淵に移り住み、安政2(1855)年の春、間口6間・奥行4間(11m×7.3m) [...]
間崎滄浪先生宅跡 投稿日2020年6月15日
間崎哲馬は土佐勤皇党に属し、藩政改革を進めるため青蓮院宮に令旨を請うが、この事が藩主・山内容堂の逆鱗に触れて平井収二郎、弘瀬健太と共に切腹を命じられる。
[...]
特別史跡水城西門跡 投稿日2020年6月14日
特別史跡水城跡の調査成果
ここは特別史跡水城跡の西門の跡です。水城は西暦六六四年に博多湾側から攻め入ることが予想された唐・新羅軍に備えて造られた防衛施設ですが、東と西に二つの門がありました。
平成六 [...]
小水城跡 投稿日2020年6月2日
上大利小水城跡その風景
水城跡は、鎌倉時代には防衛施設としての機能を失いますが、天智朝に造られたことが地元に伝わっておリ、重要な遺跡として人々に知られていました。
一方、上大利小水城跡は、昭和の初めに [...]
小倉碑文 投稿日2020年5月31日
宮本武蔵の碑
この碑は宮本武蔵の養子・伊織が建立したものである。伊織が播州(兵庫県)明石の藩主であった小笠原忠真に仕えたのは、寛永三年(一六二六)十五歳の時で、同九年小笠原氏が小倉に入国したときには [...]
朝倉の三連水車 投稿日2020年5月25日
朝倉の三連水車の観光に訪れた際には水車の見学だけではなく、何故この地に水車が必要だったのか関心をもっていただけるともっと面白い観光ができるかもしれません。
筑後川が大きく南に蛇行する山 [...]
国指定史跡 船迫窯跡 投稿日2020年5月21日
国指定史跡 船迫窯跡(平成11年1月28日指定)
平成7年、船迫地区の農業基盤整備に伴う発掘調査で、水田下より大規模な工房建物跡が発見されました。これを契機に窯跡の確認調査を実施したところ、9基の窯跡 [...]
勝海舟の最期 投稿日2020年5月17日
大寒に入るの前一日、天気晴朗なり。この日、海舟先生、意気殊(こと)に爽然として、諧謔百出す。午前、入って浴して後、微(すこ)しく異常あり。少(しば)らくして、胸頭激痛を起こし、悪汗流れ発す。命じてこれ [...]
羽犬塚の由来 投稿日2020年5月10日
羽犬塚の由来は、二つあるようです。
一つは九州征伐の際、豊臣秀吉が連れてきた羽がはえたかのようにすばしっこく走り回る犬がこの地で死んだため、塚を作り「羽犬塚」としたという言い伝えと、もう一つはこの地 [...]
筑後みやまの平家伝説 投稿日2020年5月9日
壇ノ浦の戦いで生き残った平家の一団は船または徒歩で博多を経て、そこから大宰府に向かったものと思われます。ただ頼りの原田種直は「葦屋浦の戦い」で源範頼に敗れもう平家の人々を守る力も気力もなかったのかもし [...]
黒田家譜 孝高 投稿日2020年5月9日
黒田官兵衛孝高は雪の積った日に生まれます。
貝原益軒は黒田家譜で次の通り描写しています。
「母は明石氏、天文十五年・・・孝高播州姫路に生(うめ)り。この時雪降りてその家おおう」
益軒は [...]
大伴部博麻呂の碑 投稿日2020年5月7日
大伴部博麻呂の碑
文久3年(1863)北川内村神職小川柳好幸氏は博麻の事蹟を考慮、庄屋木下甚助氏を始め村民有志等に相議(あいかたり)、久留米藩の国学者矢野一貞、船曳鉄門氏等の協力により、博麻の事 [...]
休松の戦い 投稿日2020年5月5日
織田信長が斎藤氏の稲葉山城を攻略し天下布武の印を使い出した頃、筑前では毛利氏の援助を受けた秋月氏が大友氏に対し抵抗の狼煙を挙げます。これに大友宗麟は2万の軍を派遣し秋月氏の本拠地・古処山城を攻めようと [...]
水田天満宮と恋木神社 投稿日2020年5月5日
筑後市にある水田天満宮は鎌倉時代に菅原道真公を祀り創建された神社になります。幕末の志士・清川八郎は「九州第二天満宮なり」と自著に記述していることが水田天満宮のページに記載されています。
この地は、筑後 [...]
史跡 筑後国府跡 投稿日2020年5月3日
史跡 筑後国府跡
平成 8年 3月26日(国史跡) 平成19年 2月 6日(追加指定)
平成15年 8月27日(追加指定) 平成24年 9月24日(追加指定)
筑後国府につ [...]
将軍藤 投稿日2020年4月26日
菊池氏の軍勢を得て、筑後川の戦で武家方に勝利した懐良親王が植えたといわれる藤の花。4月末から5月初旬が見頃とのことですが・・・。マスクを装着しての散策ぐらいは良いのでしょうか?それとも買い物以外はステ [...]
太宰府天満宮 如水の井戸 投稿日2020年4月23日
如水の井戸
福岡藩主黒田長政の父孝高(如水法号)は、天満宮を深く崇敬して、此処に草庵を建て、二年間隠棲の際使用した井戸です。
太宰府天満宮「如水の井戸」の案内板より
「如水の井戸」は太鼓橋を渡っ [...]
足立山の伝説 投稿日2020年4月22日
数年前、北九州にある足立山妙見宮の和気清麻呂公像を撮影に行ってきたのですが、その帰り、住宅街の通りを車で走っていると、なんか歩道を歩く犬・・・チョットした違和感が・・・「ん!」リードを引っ張る飼い主が [...]
若宮八幡宮狛犬 投稿日2020年4月19日
うきは市指定文化財(第一号)
若宮八幡宮狛犬(一対)
弘化二年(一八四五年)の記年銘が残る青銅製の狛犬・江戸時代、吉井の豪商で室屋と称した藤江伴右衛門の寄進である。
筑前博多の山鹿平次郎の制作によるも [...]
太宰府天満宮の梅と餅 投稿日2020年3月1日
三連休に太宰府天満宮へ散策へ行ってみました。コロナウイルスで大変な時期でしたが参道は多くの観光客であふれ、梅もまずまずでした。白梅の「飛梅」がだいぶ過ぎていたようですが、楼門側の紅梅は満開に近い状況で [...]
ケネディが尊敬した日本人 投稿日2020年1月26日
以前、ケネディ元米大統領がもっとも尊敬する日本人として上杉鷹山を挙げたという話があり、この逸話の真偽に関しネット上で肯定派と否定派が激論を戦わす時期がありました。
しかし数年前、娘であるキャロライン・ [...]
自由自在気随気儘だよ。 投稿日2020年1月20日
およそ天下に乾児(こぶん)のないものは、恐らくこの勝安芳一人だらうよ。それだから、おれは、起きようが寝ようが、喋らうが、黙らうが、自由自在気随気儘だよ。
海舟は氷川清話(講談社学術文庫)でこのように [...]
断定するのは好まない 投稿日2020年1月12日
主義といひ、道といつて、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。
単に道といつても、道には大小薄濃淡の差がある。
しかるにその一を揚げて他を排斥するのは、おれの取らないところだ。
人が来て囂 [...]
筑紫とは 投稿日2020年1月10日
益軒は筑前国続風土記の冒頭で、筑紫について言及しています。 「此國を筑紫と名付し事、古は筑前筑後一国にして、是を筑紫といへり。故に日本紀等の古書に、筑紫といへるは、多くは筑前筑後をさせり。又九國をすべ [...]
麁原元寇古戦場跡 投稿日2020年1月3日
麁原元寇古戦場跡
鎌倉時代の中頃、1274(文永11)年10月、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)とそれに服属した高麗王国の連合軍は、日本を侵攻するため、朝鮮半島を出航しました(文永の役) [...]
令和の主人公・大伴旅人は酒が大好き! 投稿日2019年12月2日
「令和」の元となった「梅花の宴」は730年の大宰帥・大伴旅人の邸宅で行われました。
「梅花の宴」といえばなんか貴族のほのぼのとした詩会が想像されるのですが、原文でも宴会となっているようで実際は新年の飲 [...]
吉野朝廷(南北朝)時代古戦場跡 投稿日2019年12月1日
吉野朝廷(南北朝)時代古戦場跡
南北朝時代(一三三三~一三九二)の土佐は、足利尊氏の重臣である細川氏の支配下にあって北朝勢力がかなり強かったが、南朝勢力は大高坂城(現在の高知城と同一地)を本拠とした大 [...]
平家最後の拠点・彦島 投稿日2019年11月24日
九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。
「屋島の戦い」の数日前には源 [...]
水城東門跡 投稿日2019年11月16日
水城の東西端には門が設けられました。ここはその東門跡で、都から大宰府への玄関口でした。
大宰府に赴任する官人たちは、水城の門で出迎えを受け、また送り出されました。実際、寛弘2(1005)年に大宰大弐と [...]
私は必ず失敗をする。 投稿日2019年11月5日
昨日は嘉麻市の「一夜城」の撮影に行って来たのですが、なんと一夜城は撤去済み、「一夜城まつり」前後2週間ほど一夜城は設置されているとの情報を頼りにしていたのですが、近くのコンビニの店員さんにお聞きすると [...]
史跡 大隈重信旧宅 投稿日2019年11月4日
【指定年月日】
昭和四〇年四月六日
【指定の基準】
史跡の部 第八(旧宅)による。
【指定の説明】
大隈重信は天保九年二月十六日佐賀会所小路に、佐賀藩士の子として生まれ、大正十一年一月十日歿した。
主 [...]
儀右衛門 からくり太鼓時計 投稿日2019年10月27日
このモニュメントは、郷土が生んだ偉大な発明家「日本第一細工師」田中久重翁(1799-1881)の生誕二百年を祝い、その業績を顕彰するため久留米市制施行百十月年記念事業として設置するものです。
この時計 [...]
旧九州鉄道城山三連橋梁 投稿日2019年10月20日
九州の近代化を担った九州鉄道の遺構
国登録有形文化財 旧九州鉄道城山三連橋梁
明治22(1889)年12月11日、九州初の鉄道会社である九州鉄道は、博多から久留米(開業時は千歳川仮停車場※)の約22k [...]
針摺石 投稿日2019年10月12日
針摺石
この針摺石には次のような伝説があり、地名の由来になっています。
その昔、太宰権帥として左遷されていた菅公(菅原道真)が、天拝山頂で身の潔白を訴えらりた帰り、この地をお通りになりました。
そして [...]
般若寺跡の石造七重塔 投稿日2019年10月6日
般若寺は大化五年(六四九)筑紫大宰帥に任ぜられた蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒のために建立したと伝えられるが、出土する瓦からは八世紀の奈良朝の建立であるといわれている。何れの時代に亡びたかは不明であるが [...]
破るる夢も惜しからず 投稿日2019年9月28日
鶯や破るる夢も惜からず
温泉に通ふ下駄と雲雀の声高し
江戸時代、黒田藩中老・立花秋水の作。
現在の筑紫野市二日市温泉に滞在中の一句になります。
この辺りは天拝山の麓で、また田園地帯が広 [...]
冷静に柔軟な判断をするには 投稿日2019年9月23日
勝海舟は「氷川清話(講談社学術文庫)」でどんな時でも、どんな場面でも冷静な判断を行うための要点を次の通り語っています。
人は何事によらず、胸の中から忘れ切るということが出来ないで、始終それが気にかか [...]
塔原の由来 投稿日2019年9月16日
筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。
貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で
「むかし此所(ここ)に塔あり、遠くより能(よく)見ゆ。此(この)塔ある故に [...]
国指定史跡 須玖岡本遺跡 投稿日2019年9月14日
国指定史跡 須玖岡本遺跡 ~岡本山地区~
1986(昭和61)年6月24日指定
須玖岡本遺跡は弥生時代の代表的な遺跡で、中国の歴史書に記された奴国の中心地と推定されています。
奴国の丘歴史公園は須玖岡 [...]
無神経のすゝめ 投稿日2019年9月11日
無神経ほど強いものはない・・・(中略)
無闇に神経を使って、矢鱈に世間の事を苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭が禿げ鬚が白くなって・・・(中略)
おれなどはとても(そうは [...]
ただ佞臣のみ重んずれば・・・ 投稿日2019年9月8日
ただ佞臣のみ重んずれば義臣滅し、賢臣黙り、愚臣遁走す。
太鼓持ち、提灯持ち色々言い方はあるようですが、一概に佞臣を否定する訳ではありません。大きな仕事を行うにはやはり集団の仕事となり、そのリーダーは [...]
外交の極意は誠心誠意 投稿日2019年9月5日
「外交の極意は、誠心誠意にあるのだ。胡麻化しなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ。」
と「氷川清話」で勝海舟は語っています。そして
「日米修好通商条約を結ぶ際は [...]
子供を教育するには・・・ 投稿日2019年8月31日
「子供を教育するには、よほど気を付けんといかん。
あまり学問々々といって居ると、口ばかり達者になってじきに親爺をやりこめるようになるよ。
(中略)
しかしそういう息子のある家の庫(くら)には遠からず蜘 [...]
志賀島と海の中道 投稿日2019年8月13日
福岡の志賀島は砂州で九州本土とつながる陸繋島(りくけいとう)になります。そして志賀島と九州本土をつなぐ砂州が「海の中道」と呼ばれています。写真は「海の中道」から志賀島方向を撮影したもので、後方が九州本 [...]
水時計があったとされる大宰府・築山 投稿日2019年8月12日
中大兄皇子が開発した「漏刻(水時計)」が設置されていたといわれる築山。
太宰府政庁のすぐ東側にある小高い山ですが、高台に「漏刻」を置くと水はどのように導いたのだろうという疑問が生まれます。
「漏刻」は [...]
柴田城址 投稿日2019年8月4日
鎌倉時代末期~南北朝時代
応安5年(1372年)菊池武光らの砦か?
菊池武光 元応元年(1319年)?~応安6年(1373年12月29日)高良山攻防戦の最中死去
戦国時代(1467年~1584年)末期 [...]
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