ClubChikkenHut

ClubChikkenHutは・・・
徒然なるままに、ツーリング、旅、歴史、競馬、パチスロなどなど、心に残った思い出を綴っています。
その他にニコンD80の修理履歴や撮影画像、名所旧跡にある案内板の内容の掲載などもやってます。


 

 

【ClubChikkenHutに関する投稿】

第68回 安田記念 想像馬券 投稿日2018年6月1日
スワーヴリチャードはどうして手薄な天皇賞に行かなかったのでしょうか? 盾の称号を手にすることは容易だったと思われるのですが・・・ ところで今回はマイル戦。大阪杯でお世話になったリチャードとペルシアンナ [...]

第85回 東京優駿 想像馬券 投稿日2018年5月25日
皐月賞はまんまと逃げ先行にやられてしまいましたが、今度は東京、差し馬にもチャンスです。ただしダノンプレミアムの参戦で差しの有力馬はダノン目標で好位につけなけばならず前半に足を使わされる可能性があるのか [...]

キンチョーCMに何故か注目・・・ 投稿日2018年5月23日
長澤女史の演技力か、それとも製作者の企画力なのか、キンチョーのテレビCMには何故か注目してしまいます。 私はキンチョーさんの関係者ではありませんが、以前にも書いたように2年前のキンチョーラジオCMも結 [...]

第79回 優駿牝馬 想像馬券 投稿日2018年5月20日
アーモンドアイとラッキーライラックは相当強そうです。アーモンドアイは父系にラッキーライラックは若干母方系に距離適性が薄いような気がしますが、両馬とも実績からして距離はこなせると思われます。そして、ここ [...]

小論文の書き方 投稿日2018年5月19日
以前、小論文の書き方を少し勉強したのでここに記載しておきます。 ① 問題提起、現状の問題点や今後起き得る問題点を提起する。 「~はこのままでよいのだろうか?」 ② 反対意見やデメリットを提示 「~ [...]

宇佐八幡宮神託事件-豊前の伝説- 投稿日2018年5月7日
宇佐八幡宮神託事件は続日本記(しょくにほんぎ)に書かれている出来事です。 続日本記の記事は769年、称徳天皇の怒りの詔(みことのり)から唐突に始まります。 「臣下というものは、君主に従い清く貞しい明る [...]

第23回 NHKマイルカップ 想像馬券 投稿日2018年5月5日
9.ギベオンと7.タワーオブロンドンに続いて、11.ケイアイノーテック、16.ミスターメロディといったところでしょうか?欲を言えば1.カツジ、あと中穴で4.フロンティア。 枠 4-5 10g  4- [...]

奇兵隊陣屋跡 投稿日2018年5月4日
文久三年(一八六三)六月、萩本藩主の命を受けた高杉晋作が馬関に出張し、武士以外の人たちも入隊を許し、奇兵隊を結成した。 奇兵隊は翌、元治元年、米、英、仏、蘭、四ヶ国連合艦隊を前田砲台などに迎撃し、勇気 [...]

説教は大変だ!! 投稿日2018年5月1日
最近、つくづく説教とは大変だと思います。幸か不幸か仕事では説教などできる立場になったことはありませんが、身内にはヤッパリ必要で、やらざるを得ない場面が度々起こります。説教とは後進を良き方に導くために行 [...]

第157回 天皇賞(春)想像馬券 投稿日2018年4月27日
先々週の皐月賞は調子に乗って、ボロボロにやられてしましました。 九スポ(東京では東スポ、大坂だと大スポ、名古屋だと中スポ)では爆笑問題の田中師匠が見事に馬単で的中、この予想は神業です。展開を読みきった [...]

平和な無法地帯 投稿日2018年4月24日
最近ニュースを見ていて政治家や官僚の人権が薄れつつあるのではないかと感じてしまいます。悪いことを弾劾するのは当たり前の事ですが、疑いのレベルで深い事情を理解しない人までもが寄ってたかって袋叩きにしてし [...]

第78回皐月賞 想像馬券 投稿日2018年4月13日
久しぶりに大阪杯で勝利し、このページも「空想馬券」から「想像馬券」に格上げの昇級戦です。年一の一勝でも格上げしないと奈落の底に沈むばかりですので・・・ ところで今回は今年初のクラシックの皐月賞。「早い [...]

帰ってきた「親不孝通り」 投稿日2018年4月7日
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通り」の呼称に戻された様です。 ところでこの [...]

第62回大阪杯 空想馬券 投稿日2018年3月30日
キタサンブラックが引退して、新旧交代の時期なのでしょうか? サトノダイヤモンドやシュヴァルグランのGI古馬がどのような走りを見せるか気になるところです。 さて空想馬券もGIレースは昨年のこのレース以 [...]

五卿潜居由来 投稿日2018年3月25日
七卿潜居由来  文久三年(一八六三)八月の政変によって朝議は公武合体の方針をとり、尊攘派の長州は皇居護衛の任を解かれたために三条実美ら尊王派の七卿を奉じて山口に帰った。 翌元治元年第一回長州征伐の恭順 [...]

横大路城跡・松崎城跡 投稿日2018年3月24日
横大路城跡・松崎城跡 横大路城跡・松崎城跡は、日の隈山東の峰に築かれた中世の山城跡です。正確な築城年代は不明ですが、正平八年頃に一色氏により築城されたと伝えられています。日の隈山の東に位置する峰一帯に [...]

妙見宮の和気清麻呂公像 投稿日2018年3月24日
足立山と猪に乗る 和気清麻呂公像 神護景雲三年(七六九年)当社におまつりされている和気清麻呂公は、皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の邪望を打ち砕いたが、恨みをうけたため、足の筋を斬られ大隅国(現在の鹿児 [...]

日本代表マリ戦引分 投稿日2018年3月23日
最期にゴールを決めかろうじて引分けに持ち込んだのですが厳しい一戦となりました。 若手を試す布陣で、若手の活躍も目立ったのですが、トータルで見てどうなのでしょうか? 強化試合なのでまずまずと考えてもよい [...]

龍馬とお龍が巌流島で打ち上げ花火? 投稿日2018年3月21日
龍馬もお龍も巌流島に上陸? 巌流鳥は、慶長17年(1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地として広く知られていますが、実は坂本龍馬の逸話も残されています。 慶応3年(1867年)春、下 [...]

将軍梅 投稿日2018年3月11日
正平十四年(一三五九年)の夏、征西将軍宮懐良親王を奉じた菊池武光らがこの地に陣を敷いた。親王は、念持仏である阿弥陀像をここに安置し、手向けに一株の紅梅をお手植になり、百万遍の仏名を唱えられたとされてい [...]

五郎山と天山と宝満山 投稿日2018年3月5日
福岡県筑紫野市にある歴史にまつわる三つ山を撮影しました。(北に向かって撮影しています) 手前が五郎山古墳がある原田・五郎山。五郎山古墳は終戦から2年後に発見された6世紀後半の古墳とされ内部では壁画が [...]

薩摩街道 松崎宿「油屋」 投稿日2018年3月4日
今日は晴れたので、西郷隆盛の泊まったといわれる小郡市松崎の「油屋」の撮影に行って来たのですが、残念ながら史跡「油屋」は建替中でした。 薩摩街道は島津藩が参勤交代で通った街道で松崎宿はその宿場町というこ [...]

御所ヶ谷神龍石と周辺の史跡 投稿日2018年3月4日
御所ヶ谷神龍石(ごしょがだにこうごいし)は7世紀に国外からの侵攻に備えて築かれた古代の山城跡で、面積 35万平方メートル、全周3kmにおよぶ大規模な遺跡です。切石の列石を連ね、その上に土を積んだ城壁が [...]

西鯵坂城跡の碑 投稿日2018年1月13日
西鯵坂城跡 ここから東南二百米ばかりの所、大楠の下に小さい石の堂が建っている。ここが城の中心地で、筑後志には「筑紫上野介家宗が據りし所なり。縦六十間、横二十間の平城なり」と書いてある。宗氏代々の居 [...]

大原古戦場碑 投稿日2018年1月11日
大原合戦 天平十四年(南朝暦・一三五九年)七月から八月にかけて、およそ六万人の北軍(少弐・大友連合軍)と、およそ四万人の南軍(懐良親王・菊池武光軍)が、宝満川流域の味坂・大原・西島・山隈を含む筑 [...]

鳥取城跡の吉川経家公像 投稿日2018年1月9日
吉川経家の鳥取籠城と自刃のこと 天正九年、天下制覇を目指す織田信長の先鋒として、羽柴秀吉の山陰侵攻が必至となりました。この情勢に対応して、鳥取城を守る軍勢は、吉川の一門につながる有力な武将の派遣 [...]

小倉城の珪化木 投稿日2018年1月7日
響灘の珪化木(けいかぼく) 木の幹が地層にうずもれて、 化石に変わったものを珪化木と呼びます。 この珪化木は、響灘の海底から引き上げられ たもので、今から約4000万年前のものです。 木の種類は [...]

伊能忠敬測量記念碑と常盤橋 投稿日2018年1月6日
伊能忠敬測量200年記念碑  江戸時代の測量家伊能忠敬は、50歳で商家の家業を長男に譲り第二の人生を志し、天文・暦学を学ぶ。寛政12(1800)年、55歳の時江戸より蝦夷地に向け測量の第一歩を踏 [...]

少弐景資の墓 投稿日2018年1月6日
少弐景資は、文永十一年(一二七四)と弘安四年(一ニハー)の二回に渡る蒙古襲来に際し、第一線の指揮官として活躍した勇将であります。 弘安七年北条時宗が病没した後、鎌倉幕府の内部一に政権争いが起こり、御家 [...]

裂田の溝 投稿日2018年1月5日
裂田の溝 さくたのうなで (築造年代 不明) この神社の後に流れているのが日本書紀に書かれている裂田の溝(さくたのうなで)です。 山田のーノ井堰から取水し、山田をはじめ、流域の六集落の田地をうる [...]





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