ClubChikkenHut

ClubChikkenHutは・・・
徒然なるままに、ツーリング、旅、歴史、競馬、パチスロなどなど、心に残った思い出を綴っています。
その他にニコンD80の修理履歴や撮影画像、名所旧跡にある案内板の内容の掲載などもやってます。


 

 

【ClubChikkenHutに関する投稿】

近藤長次郎邸跡 投稿日2020年6月22日
近藤長次郎(1838-1866) 天保9年 大里屋伝次の長男に生まる 長して坂本龍馬に兄事し活躍 神戸海軍操練所をへて長崎 亀山社中に投じ ユニオン号譲渡をめぐって薩長連合に一役をになうも そのあと単 [...]

後藤象二郎先生誕生之地 投稿日2020年6月21日
後藤象二郎(1838~1897) 天保9年3月19日この地に誕生 義叔父執政吉田東洋に学び 藩政に抜擢される 第15代藩主山内豊信(容堂)の信任を受け公武合体論を唱え土佐勤王党と対立 武市瑞山らを断獄 [...]

シーボルト宅跡 投稿日2020年6月20日
シーボルト宅跡 指定年月日 大正11年10月12日 所 在 地 長崎市鳴滝2丁目 所 有 者 国ほか 文政6年(1823)に出島和蘭商館として来日したシーボルトは、翌年鳴滝に塾を開き、患者の診療や、 [...]

福岡孝弟先生誕生之地 投稿日2020年6月19日
福岡孝弟(1835-1919) 通称藤次 維新の進歩的で偉大な政治家で 大政奉還に尽力 五箇条御誓文は孝弟が由利公正 木戸孝允と協力した文案である 文部卿となり 枢密院顧問官議定官となる。 現地 [...]

品川弥二郎生誕地 投稿日2020年6月18日
品川弥二郎 天保十四年(一八四三)九月、中間品川弥市右衛門の子として、萩松本村船津に生まれる。安政四年(一八五七)、十五歳のとき松下村塾に入り、当初より松陰に大変期待されたようである。文久年間(一八六 [...]

久坂玄瑞誕生地 投稿日2020年6月17日
久坂玄瑞 平安古町 幕末の志士。この地に出生。明倫館に入り、のち医学館で学ぶが、医学を好まず吉田松陰に学んで高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された。長井雅楽の航海遠略策に反対し、藩論を尊攘討幕に一変 [...]

吉田稔麿誕生の地 投稿日2020年6月16日
吉田稔麿は、1841年(天保12)、足軽の長男としてこの地に生まれた。松下村塾に入門し、高杉晋作らとともに松陰門下の四天王といわれた。吉田松陰の死後、尊王攘夷運動に参加し、屠勇隊(有志の部隊)を組織し [...]

武市半平太邸跡及び道場跡 投稿日2020年6月16日
土佐勤皇党首領である武市半平太(瑞山)は、嘉永3(1850)年に長岡郡吹井村(現高知市)から祖母と妻冨とともに城下の新町田淵に移り住み、安政2(1855)年の春、間口6間・奥行4間(11m×7.3m) [...]

間崎滄浪先生宅跡 投稿日2020年6月15日
間崎哲馬は土佐勤皇党に属し、藩政改革を進めるため青蓮院宮に令旨を請うが、この事が藩主・山内容堂の逆鱗に触れて平井収二郎、弘瀬健太と共に切腹を命じられる。   [...]

特別史跡水城西門跡 投稿日2020年6月14日
特別史跡水城跡の調査成果 ここは特別史跡水城跡の西門の跡です。水城は西暦六六四年に博多湾側から攻め入ることが予想された唐・新羅軍に備えて造られた防衛施設ですが、東と西に二つの門がありました。 平成六 [...]

小水城跡 投稿日2020年6月2日
上大利小水城跡その風景 水城跡は、鎌倉時代には防衛施設としての機能を失いますが、天智朝に造られたことが地元に伝わっておリ、重要な遺跡として人々に知られていました。 一方、上大利小水城跡は、昭和の初めに [...]

小倉碑文 投稿日2020年5月31日
宮本武蔵の碑 この碑は宮本武蔵の養子・伊織が建立したものである。伊織が播州(兵庫県)明石の藩主であった小笠原忠真に仕えたのは、寛永三年(一六二六)十五歳の時で、同九年小笠原氏が小倉に入国したときには [...]

第87回 日本ダービー 空想馬券 投稿日2020年5月28日
皐月賞で激闘を交わした 5.コントレイルと 12.サリオス。前評判ではコントレイルがダントツの人気のようですが、サリオスの巻き返しはあるのでしょうか? おそらくサリオスはいつもの通り先行策をとり早めに [...]

朝倉の三連水車 投稿日2020年5月25日
朝倉の三連水車の観光に訪れた際には水車の見学だけではなく、何故この地に水車が必要だったのか関心をもっていただけるともっと面白い観光ができるかもしれません。 筑後川が大きく南に蛇行する山 [...]

たかがテンピン 投稿日2020年5月24日
「たかがテンピンというけれど・・・」というけれどテンピンの意味がピンとくる人はどれくらいいるのだろう? 「たかがテンピンというけれど・・・」という人はテンピンの意味がピンとくる人なのだろうか [...]

外出自粛で書いた記事 投稿日2020年5月23日
  外出自粛で一レフをゲットだぜ!   外出自粛、自宅でパチろう!!   ひと昔前の名作ビデオ   外出自粛で青葉賞空想馬券   外出自粛で春 [...]

国指定史跡 船迫窯跡 投稿日2020年5月21日
国指定史跡 船迫窯跡(平成11年1月28日指定) 平成7年、船迫地区の農業基盤整備に伴う発掘調査で、水田下より大規模な工房建物跡が発見されました。これを契機に窯跡の確認調査を実施したところ、9基の窯跡 [...]

勝海舟の最期 投稿日2020年5月17日
大寒に入るの前一日、天気晴朗なり。この日、海舟先生、意気殊(こと)に爽然として、諧謔百出す。午前、入って浴して後、微(すこ)しく異常あり。少(しば)らくして、胸頭激痛を起こし、悪汗流れ発す。命じてこれ [...]

ティー字路?テイ字路? 投稿日2020年5月13日
最近までドン突き三叉路のことをT字路と思っていましたが、正式には丁字路と知りました。丁字路よりT字路がしっくりくるのですが・・・。直角でない三叉路はY字路なので、丁字路よりT字路でよいのではと思います [...]

羽犬塚の由来 投稿日2020年5月10日
羽犬塚の由来は、二つあるようです。 一つは九州征伐の際、豊臣秀吉が連れてきた羽がはえたかのようにすばしっこく走り回る犬がこの地で死んだため、塚を作り「羽犬塚」としたという言い伝えと、もう一つはこの地 [...]

筑後みやまの平家伝説 投稿日2020年5月9日
壇ノ浦の戦いで生き残った平家の一団は船または徒歩で博多を経て、そこから大宰府に向かったものと思われます。ただ頼りの原田種直は「葦屋浦の戦い」で源範頼に敗れもう平家の人々を守る力も気力もなかったのかもし [...]

黒田家譜 孝高 投稿日2020年5月9日
黒田官兵衛孝高は雪の積った日に生まれます。 貝原益軒は黒田家譜で次の通り描写しています。   「母は明石氏、天文十五年・・・孝高播州姫路に生(うめ)り。この時雪降りてその家おおう」 益軒は [...]

タントのルームライト交換 投稿日2020年5月6日
今回も Tanto L350S のメンテナンス。ルームライトをLEDに変更です。 これは数か月前にやったメンテなので、写真を取り直しておさらいです。 まずはネットでTantoL350/360S用のLE [...]

タントのシガーライターヒューズ交換 投稿日2020年5月4日
さて今日は何をしようかということで、車のメンテナンスをやってみます。 車のメンテは苦手でしたが、キング牧師の"just take the first step"(いま最初の一歩を踏み出そう)という言葉 [...]

史跡 筑後国府跡 投稿日2020年5月3日
史跡 筑後国府跡 平成 8年 3月26日(国史跡)  平成19年 2月 6日(追加指定) 平成15年 8月27日(追加指定) 平成24年 9月24日(追加指定)    筑後国府につ [...]

スノコで格安DIY 投稿日2020年5月2日
外出自粛で Do It Yourself!! 通常ならばGWで何をするかと考えると、パチスロ、競馬以外に思い浮かびません。しかし新型コロナでそれも不可、あとはDIY。戸建ては元よりマンションでも可能な [...]

ひと昔前の名作ビデオ 投稿日2020年4月29日
最近の名作は見尽くしたという方へ、昔の名作や面白かったビデオを羅列してみます。   【ラストシーンが気になる】 テキサスの五人の仲間 猿の惑星 エンゼル・ハート セブン シックスセンス アザ [...]

足立山の伝説 投稿日2020年4月22日
数年前、北九州にある足立山妙見宮の和気清麻呂公像を撮影に行ってきたのですが、その帰り、住宅街の通りを車で走っていると、なんか歩道を歩く犬・・・チョットした違和感が・・・「ん!」リードを引っ張る飼い主が [...]

若宮八幡宮狛犬 投稿日2020年4月19日
うきは市指定文化財(第一号) 若宮八幡宮狛犬(一対) 弘化二年(一八四五年)の記年銘が残る青銅製の狛犬・江戸時代、吉井の豪商で室屋と称した藤江伴右衛門の寄進である。 筑前博多の山鹿平次郎の制作によるも [...]

宇宙ステーションの撮影失敗 投稿日2020年4月7日
本日4月7日、国際宇宙ステーションが日本の西方から南西に向けて飛翔するとのことで自慢の修理済みD80で撮影を試みました。三脚にアバウト25度の角度で装填し、26ミリ単焦点レンズ装着、シャッタースピード [...]





[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]