ClubChikkenHut

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ClubChikkenHutは・・・
徒然なるままに、ツーリング、旅、歴史、競馬、パチスロなどなど、心に残った思い出を綴っています。
その他にニコンD80の修理履歴や撮影画像、名所旧跡にある案内板の内容の掲載などもやってます。


 

 

【ClubChikkenHutに関する投稿】

アンケートや署名活動は危険!? 投稿日2021年2月23日
先日、高須クリニック医院長の署名問題が発生しましたが、この重複署名の件もどこに問題があったのか詳細に検証しないと真実が見えてこないと思われます。表面だけを取り上げて騒ぎ立てる前に、ほんとに必要なのは掘 [...]

五輪の中止延期派90%越え!? 投稿日2021年2月13日
YAHOOみんなの意見(https://news.yahoo.co.jp/polls/sports/42096/result)でオリンピック中止派78%、延期派14.1%(2月13日14:36現在)で [...]

孝高、信長面会 投稿日2020年11月19日
福岡市博物館には『へし切長谷部』という名刀が収蔵されています。 この刀は織田信長が黒田孝高に賜ったものだとされています。   時は1575年。孝高は「毛利に付くか織田に付くか」で揺れる主家・ [...]

毛利と宇喜多の旗 投稿日2020年10月12日
孝高は毛利と和睦し備中高松城の包囲を解いて京都に引き返す際に、毛利の将・小早川隆景に毛利家の軍旗を2本無心しています。 隆景は不審に思い「旗ばかりお貸ししても大した足しにもなりますまい。毛利家の兵はこ [...]

本能寺の変を報せた男 投稿日2020年10月11日
本能寺の変は1582年6月2日の午前4時頃、明智光秀の軍が本能寺を取り囲んで始まります。 この事変の報を受けた信長の臣・長谷川宗仁は書状を配下の者に託し、備中に出張中の秀吉への飛脚を命じます。 この飛 [...]

事は密を以って成る? 投稿日2020年10月11日
「京都にありし信長の臣長谷川宗仁より飛脚来りて、孝高に対面し、昨二日(1582年6月2日)京都において、信長公併(わせて)信忠卿を、明智日向守が弑し奉りたる由、ひそかに申て状を捧ぐ。孝高飛脚に対し、扨 [...]

男装の漢詩人・原采蘋 投稿日2020年9月21日
福岡では幕末維新期に男装の女医・高場乱が登場しますが、一世代前の1798年にもう一人の男装の漢詩人・原采蘋(はらさいひん)が秋月に生まれています。 父親は甘棠館で亀井南冥に学んだ原古処で、秋月藩の儒学 [...]

白滝神社「白滝夫婦木」 投稿日2020年9月14日
「白滝夫婦木」 白滝神社の御神木、クスの木とムクの木は仲良く絡み合いながら成長しています。クスの木の幹まわりは五.五m、高さ十五m堂々としています。 樹齢三百年とも云われます。 この地は、別称平家堂と [...]

敬止義塾跡 投稿日2020年9月13日
敬止義塾跡 所在地 朝倉郡筑前町二字鐘木塚 福岡藩士であった杉山灌園が、明治十(一八七七)年頃に自宅の離れで塾を開いていました。 近隣から三十人ほどの塾生があり、寄宿しているものもいました。教科書とし [...]

ドコモ口座問題 投稿日2020年9月12日
銀行口座をネット口座に紐づけするドコモ口座で不正引出し事件が発生。ドコモ口座のシステム側は先行きを見通せなかった面もあったのかもしれませんが、この問題で一番重要なのは「なぜ個人名、口座番号、暗証番号が [...]

懐良親王終焉之地 投稿日2020年9月7日
南北朝の折 征西の宮 星野の地にありて勤皇の志気を鼓舞せられたが弘和三年二十七日土穴にての伝えあり 今尚 大円寺に於て法要を営む 伝征西将軍宮 懐良親王陵 御陵大明神山中これより 二十分 大円寺星 [...]

Correction power 投稿日2020年9月5日
かってクラーク博士は "Boys, be ambitious" と言ったということですが、"Boys, let's acquire correction power" こんな言葉もどうかなぁと思います [...]

№2に徹した男・渡哲也逝く 投稿日2020年8月15日
№2に徹した男・渡哲也が今年8月10日に逝った。 石原裕次郎が逝った後、石原軍団をまとめていた人である。 石原のドラマ「太陽にほえろ」に新人で出演していた松田優作が石原軍団と電話で会話する番組が三十数 [...]

花火あがる。 投稿日2020年8月1日
花火師の人は、兼業なのだろうか? 今年の花火は今年に上げるしかないのだろうが、各地で突発的に上がる花火の事が報道される度に、気風の良さと共に花火師の無念さが想われる。 祭りでは夜店の人々、夜の街では接 [...]

日本人の学生はWhyが少ない? 投稿日2020年7月12日
九州帝国大学初代総長の山川健次郎は入学式の訓示で「日本の学生はHowを重視するがWhyが少ない」とイギリス人講師から指摘された事を挙げ、疑問を持ち考える事を要望したといいます。 山川健次郎は会津・白虎 [...]

どうなんだろう? 投稿日2020年7月7日
どんな場でも主導権争いのために非難の応酬が行われるのは仕方のない事だろうが、批判を目的とした批判はどうなんだろう? と思うことがある。 自分自身の目指すものと違うところ、自分自身の利益に反するところを [...]

野村望東尼終焉の宅の碑 投稿日2020年7月6日
史跡 野村望東尼終焉の宅 望東尼は福岡の歌人 激動する幕末志士のかげにあって活躍した女流勤王家である 薩長の連合が成り 討幕軍が三田尻から出陣しようとするとき 寄寓先山口から防府に来て 防府天満宮に七 [...]

島義勇之像 投稿日2020年7月5日
島義勇の生涯 島義勇は文政5年(1822)、佐賀藩士島市郎右衛門の長男として、佐賀城下西田代横小路(現在の佐賀市西田代)に生まれた。幼名を市郎助、通称を団右衛門。楽斎と号した。 天保元年(1830) [...]

小倉碑文訳 投稿日2020年7月4日
天仰 実相 円満 兵法 逝去 不絶   兵法天下無双   1654年4月19日、孝子、武蔵を敬って建立 1645年5月19日、肥後熊本に於いて死去 兵庫県赤松氏の子孫・新免武蔵玄信 [...]

板垣退助先生像 投稿日2020年7月3日
板垣退助(1837-1919) 近代日本の道を開いた自由民権運動の最高指導者として有名。天保8年(1837)4月17日、高知城下中島町の上士の家に生まれ、|日姓は乾、無形と号した。討幕運動に参加、戊 [...]

周布政之助舊宅地 投稿日2020年7月2日
周布政之助旧宅地 周布政之助は、文政6年(1823)萩藩大組(78石余)の家に生まれた。藩校明倫館に学び、俊才と評された。弘化3年(1846)有志とともに嚶鳴社を結成し、時事を討議した。嘉永5年(18 [...]

前原一誠舊宅 投稿日2020年7月1日
前原一誠旧宅   萩藩の大組士佐世比彦七の長男として天保5年(1834)に生まれ、安政4年24歳の時に松下村塾に入門した。 戊辰戦争で北越官軍参謀を務め、越後府判事を経て参議に進み、ついで明 [...]

入江九一・野村靖兄弟誕生地 投稿日2020年6月30日
入江九一・野村靖兄弟誕生地   入江九一・野村靖は、下級武士野村家の長男・三男としてこの地に生まれた。ともに松下村塾に入門し、吉田松陰の教えを受けた。 兄・入江九一は萩藩無給通。尊王攘夷運動 [...]

初代内閣総理大臣 伊藤博文別邸 投稿日2020年6月29日
別邸は、日本で最初の総理大臣・伊藤博文が明治40年(1907)に東京都品川区大井に建てたものをこの地に移築し、平成13年(2001)から公開しています。 別邸内には、天皇から下賜された灯篭や杉の一枚板 [...]

漢委奴国王印の鈕はラクダ? 投稿日2020年6月28日
金印「漢委奴国王」の鈕(ちゅう・印のつまみの部分)は駱駝を蛇に改造したものではないかという説があるようです。言われてみれば蛇というよりは駱駝に近い様な気がしないでもありません。   中国の各 [...]

元帥公爵山縣有朋誕生地 投稿日2020年6月28日
山縣 有朋 明治・大正期の軍人・政治家・公爵。 川島で出生。松下村塾に学び、奇兵隊の軍監となり。高杉晋作挙兵による内訌戦等に活躍、戊辰戦争では官軍の参謀として転戦。明治以後、陸軍卿・参議・陸軍大将・元 [...]

第61回 宝塚記念 空想馬券 投稿日2020年6月26日
牝馬が強くなったのはいつ頃からだろう? エアグルーブの活躍が2000年以前の事だからもう20年以上。 ダイワスカーレット、ウオッカ、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、リスグラシュー、アーモンドアイ・・ [...]

才谷屋跡 投稿日2020年6月25日
坂本龍馬の本家 豪商 才谷屋跡 坂本龍馬の本家である才谷屋は、 坂本家四代(当時は大浜姓)八兵衛守之が 寛文六年(一六六六)に長岡郡殖田郷才谷村(現南国市) より高知城下本丁筋三丁目(現上町三丁目)に [...]

板垣退助先生誕生之地 投稿日2020年6月24日
板垣退助(1837-1919) 戊辰の役には藩兵千人を率い東山道先鋒を務めた 立志社をつくり自由民権運動をおこす 自由党の総理となり全国遊説中 明治15年岐阜で刺される 「板垣死すとも自由は死せず」の [...]

吉田東洋先生殉難之地 投稿日2020年6月23日
吉田東洋(1816-1862) 本名正秋通称元吉 15代藩主山内豊信(容堂)に信任され 安政改革を推進文武館を建設 「海南政典」を編さんしたが公武合体策を堅持したため 武市瑞山の率いる土佐勤王党の刺客 [...]





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